閑話その4  幸せのしっぽ6(R15)




(ちゃぽん、という音が聞こえる…。
体中の緊張が解け、甘い香りが鼻孔を刺激する。
あれ、この香り?
この香りを私、知っている…。
えっと、このグリーンアップルの香りは…。)

と思考がだんだんと覚醒した夏流は自分の於かれている状況を知り、全身を赤く染めた。
背後から豪に抱き寄せられているカタチでいる場所に、言葉にならない声が出る。

「ご、豪さん、お願いだからここから私を出して…」

何度も豪に愛された身体に力を入れる事が出来ない夏流は、唇を震えさせながら懇願する。

「それは受け入れる事が出来ない」

と、きっぱりと真面目な豪の言葉に、夏流は目を潤ませた。

「こ、こんな恥ずかしいから、イヤです…」

「何故?」

「何故って、だって、私、一緒にお風呂に入ってるって、そんな…!」

「身体を見られるのが恥ずかしい?
それとも俺の身体を見て恥ずかしい、から?」

「…知っていて言わないで下さい。」

「こんな風に高ぶっている俺を、直に感じるのがイヤか?」

「…豪さんがこんなに意地悪とは知りませんでした!」

真っ赤になって怒りだす夏流の可愛さに豪が、くすくす笑いながら腰に回していた腕の力を強くする。
更に密着する身体に、夏流は上気する顔を抑える事が出来ない。

「や、豪さん、もう離して…」と涙ぐみながら暴れる夏流の身体を反転させ、自分に向かい合うカタチに抱き直す。

「わざわざ、乳白色の入浴剤にしているから見えないだろう?」

しれっと、言い放つ豪の言葉に夏流は呆気にとられて言葉を発する事が出来ない。

「夏流が恥ずかしがるのは判るけど、あのままでいるのはイヤだろう?」と、からかいを含めた口調に、
夏流は自分は豪の何を今迄見ていたんだろうと、と考え込んでしまった。

(14歳も年上で、何時も穏やかに微笑んで、優しくて思いやりがあって…。

確かにそれは正しいんだけど…。

でもこれは、もう…。)

「豪さんって意外に子供っぽいんですね。
それにすごーく意地悪…!
大人の男性の言動とはとても思えません!」

ぷい、とそっぽを向き、怒りだす夏流に、豪は堪らなくなり、ぷっと吹き出し、高々と笑い出す。

収まらない豪の笑い声に夏流は、居たたまれなくなり、豪の口元に手を添えて黙らそうとするが、
逆にその手を取られ動きを封じられる。

「や、離し…」と、言う言葉を最後迄伝える事が出来ない。

豪の唇が夏流の言葉を奪ったから…。

何度も唇を啄まれ、その都度、甘い吐息が夏流の口から零れる。

「俺に、こんな風にさせるのが夏流の所為だとは思わない?」とキスの合間に問われ、違うと返事をしたくても、
豪が深く唇を奪い言葉をかける事が出来ない。

「今迄、俺は自分を素直に出す事が出来なかった。
いや、感情を出す事自体、許される立場ではなかった、と言うのが正しいだろうか?」と微笑む表情が寂しそうな様に、夏流の顔が曇りだす。

「豪さん…」と呼びかける夏流に、「済まなかった」と豪が淡く微笑む。

「夏流に出会って、色々な自分が表に出て、俺は正直戸惑っている。
熱情のおもむくまま夏流を抱いて、夏流に愛を囁いて、夏流を愛おしく想う気持ちが溢れて、こんなにも求めてしまう…」
と笑う豪の表情はとても優しく、そしてとても悲しかった…。

夏流の目に自然と涙が溢れ出す。

急に泣き出す夏流を豪は愛おしくなり、強く抱きしめた。

「愛しているよ、夏流…。
君と離れて生きる人生を俺はもう、考える事が出来ない。
俺にとって夏流は俺の生涯の中で、初めて俺の心を奪った女性だから。」

「豪さん…」

「俺の中にこんなにも女性を求める気持ちが存在するとは思わなかった。

正直、今迄、女性関係がなかった、とは言えない。
割り切った関係で付き合った女性は何人かはいた…。
夏流に綺麗ごとを言おうとは思わない。
感情とは別で、異性を求める事が何度もあった。
だが、夏流を愛して、男の性であっても女を求めたいとは思わなくなった。

ずっと、夏流が欲しかった…。

忍を想う夏流を何度、奪おうかと思ったか…!
理性等関係ない、忍の想いも、そして…、全てのしがらみを捨てて迄も、夏流をこの手に抱きたかった。

愛している、夏流…。

夏流と出会えたこの人生を、俺は、今、とても幸せだと感じている。
これが俺が望んだ本当の幸せなんだ。

君が側にいる、この今が…!」

豪の言葉に夏流はそっと、豪の頬に手を添える。

「貴方の側にいてもいいの…?」とか細い声で問う夏流に、豪が深い笑みをたたえ頷く。

「ずっと側にいて欲しい…」と伝える豪の唇が夏流の唇を奪う。

求める気持ちが高まり2人はまた、互いの愛を強く確かめあうのであった…。


自分の腕に寄りかかる重みに笑みが零れる。

あれからまた浴室でも夏流を求めてしまい、最後には意識を失った夏流の身体を抱き上げ寝室に連れて行き思いのまま身体を貪った。
どれだけ自分の欲情が強いか、夏流の憔悴した表情を見れば一目瞭然だ、と豪は心の中で嘆息を漏らす。

最初から夏流を抱いた時から、求める気持ちに歯止めが利かないと自負していたが、昨夜から今朝にかけて、それは殊更酷かった。

「このまま一緒に住む様になったら、夏流を抱き潰してしまうな…」
と冗談とも言えないつぶやきに豪は苦笑した。

ふと、サイドボードにある電話が点滅している事に豪が気付く。

「誰か、電話を入れたのか…?」と留守電を聴くと愛由美からであった。

珍しい、と豪は頚を傾げながら愛由美に連絡を入れる。

「豪。
貴方、昨日携帯の電源が切られてあったけど、何かあったの?」

愛由美の言葉に、いつの間にか携帯の電源が切れている事に豪は気付いた。

充電を忘れていたのだろうか?とその事に気付く事無く最近、仕事に追われた事を説明すると、愛由美が電話越しに深く溜息をつく。

「全く、豪…。
貴方もいい加減、早く美樹さんと結婚して落ち着きなさい!
何時も帰宅は深夜で土日は何をしているか判らないけど、どうせ仕事でしょう?
貴方の仕事に対する熱意には、ほとほと関心を通り越して、呆れ果てるわ。

ちゃんと食事はしているの?

貴方は珈琲を入れるしか、能がないんだから。
忍は一人暮らしをしても自炊が出来るから心配はしてないけど、貴方は一切出来ないから私は本当に心配で…。

豪、ちゃんと聴いている?」

愛由美の小言に、相変わらずパワフルで元気があっていい事だ、と豪は心の中でごちていた。

「聞いてますよ、かあさん。

それよりも俺に何か御用でしょうか?」

「あ、そうそう。
今月末に忍が帰って来るから、豪、その日は坂下家に帰ってらっしゃい。」

「…え?」

「何、惚けて聞いているの?
忍が帰ってくるの。
だから坂下家に帰りなさい。

その時、忍が貴方に会いたいって。」

「忍が帰ってくる…」

「そうなのよ。

もう、忍も講義が集中してるから休日も勉強で忙しいと言って、帰って来もしない。
あの子も本当に、何かに集中すると目先の事しか見えないんだから。

貴方達、本当によく似てるわ。
全く、2人とも大きくなったら母親なんて邪魔としか考えてないんだから。

豪、聞いているの!」

だんだんとエスカレートする愛由美の小言を聞くに堪え難くなった豪は、今から支度をして出ないといけないと、断りを入れて会話を中断した。

「忍が帰ってくる…」

ふと、ベットに眠る夏流に視線を落とした。

深く眠り込んだ夏流は今の会話は聞こえていない。
だが…。

「もう、手放す事など出来ない。
君が側にいない人生なんて、今の俺には皆無に等しい。

だから俺も行動に出るよ…」

受話器を手に取り豪は侑一に連絡を入れる。

「侑一か?
朝、早くから済まない。
実は折り入って頼みたい事があるのだが、構わないだろうか?

指輪を購入したいので見に行きたいんだが、お前、何時、時間が取れる?

後、それと同時に指輪のサイズを直して欲しい。
これは俺の母からの依頼だが、構わないか?」

携帯越しに侑一はくつり、と笑う。

「ふふふ、朝から何を言うかと思えば…。
豪ってば。」

「侑一、お前、何を含んでいる?」

あの独自の、間の延びた問いが豪に降り掛かる。

「別に、何も含んでいないよ。
来週、早々に時間を作るから来る時間を指定して。」

「済まない」

「いいや。
それよりも、豪?」

「え…?」

「ううん、ごめん。
何でもない。」

「…」

「じゃあ、切るよ。
僕も今から支度をして出ないといけないから」

「ああ。
済まなかった、侑一」

「いや。
その日、会うのが楽しみだよ、豪…」

しみじみ言う侑一に少し疑問が浮かんだが、頭を切り替え会話を終えた。

眠る夏流の側に座り、額にかかる髪を梳く。

絹糸の様に細く柔らかな質感を指に絡ませ堪能する。

「夏流…。
愛しているよ。」







そうつぶやき唇に触れる。

夏流にキスを落としながら、先程の愛由美の言葉が豪の脳裏に過る。

(忍が帰って来る…。

もう、俺たちの事を隠し通せないな。

向き合わないといけない。

美樹にも、そして忍にも…。

全てを無くすかもしれない。

俺は「坂下豪」としての全てを失うかもしれない。

だが、それでも夏流と共に生きる人生が欲しい。

もう、後には戻れないんだ…。

忍…。

許してくれ…!)

ふと、頬に涙が伝わる。

拭う事無く静かにそれを受け入れる…。

流す涙が忍との別離を悲しんでいるのだろうか…、と豪は目を瞑りながらこれから先起こりうる忍との再会に心を震わせた…。



「夢のあとさき」 第一部 完



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