閑話その4  幸せのしっぽ4




「へええ、化けるもんだな?」

くつくつと貢が含んだ様に笑う様に、美咲は手のひらをぎゅっと握り、込み上がる怒りに耐えていた。

「…お褒めの言葉、恐縮です…」

切れ切れに返事をする美咲に、笑いながら貢は目を細めじっと見つめる。

今日の美咲の装いに貢は、心の中で密かに嘆息を漏らしていた…。

マーメイド型の淡いピンクのドレスに胸元に真珠のネックレス。
耳に同じく真珠のピアスをあしらい、普段は下ろしている髪をシニヨンに纏め、頚からのラインが美しく、貢は思わず指先で触れようとしていた。

自分の無意識な行動に気付いた貢は、美咲の艶かしい姿に惹き付けられている自分に失笑した。

(全く、無自覚に俺を誘っているとしか言えないな。
この鈍感女が…!)

「綺麗だ…」とぽそり呟く貢の言葉に美咲が気付く事は無かった…。

今回のパーティー会場である「ホテルタカツキ」に着いた美咲は直ぐさま、会場に入り豪の姿を探した。

手塚製薬主催のパーティーの参加者リストを叔母の経由で入手した美咲は、パーティーに豪が参加する事を前もって知っていた。

(絶対に坂下豪を捕まえて、夏流の事、問いただしてやるんだから!
絶対に許さないから…。
どうして夏流なのよ!
なんで夏流に手を出したのよ、このロリコン男!)

心の中で豪に対して悪態を付けながら探すしていると、何やら会場の女性陣がざわめいている。

何があったんだろう?とざわめく場所に視線を向けると、そこには豪がいた。

参加リストと同時に手に入れた写真と同じく、彫りが深く背の高い整った顔をした男…。

(あれが夏流を誑かした男ね…!)

人が良さそうな笑顔を振りまいて、と舌打ちしながら、つかつかと近づく。

声をかけようとした瞬間、自分の肩に手を置き動きを遮る貢に美咲は反発した。

「な、何をするのよ。
離してくれないかしら、貢さん…!」

怒りを露にして貢にたてつく美咲に、貢が鋭い視線を投げ掛ける。

「坂下の後継者に近づいて何をしようとしている…」

「貴方には関係ない事だわ。
ほっといて下さらない?」

貢の手を振りほどき、豪の元へ近づく美咲の腰に手を回し、無理矢理、会場の外に連れて行く。
関係者以外立ち入る事の出来ない控え室に暴れる美咲を連れ込み、貢は強引に美咲を椅子に座らせた。

「な、何を急に…!
私は坂下財閥の御曹司に用事があるの!
ここから出して!」

かちゃり、と鍵を閉められた事に今迄に無い程、怒りに震え頬が上気する。

美咲の自分に向ける殺意にも近しい視線をかわし、貢が冷ややかな言葉をかける。

「君は自分の立場を解っているのか?
坂下家の御曹司に近づいて何をしようとしたんだ?
社交辞令の話…、とも取れないな、その様子では。
君の親友に関わる事か?」

「…!」

「もし、そうなら、あの場所で君がその事を発したら、君の親友の立場はどうなる?
今の君は冷静な判断等、一切、持ち合わせていない。
感情が先走った言葉に、何が起きるか、君には判るだろう?」

的を得た貢の言葉に美咲は悔しさの余りぼろぼろと涙を流した。

貢の言葉はもっともだ、だが、感情はそうはいかない…。

一瞬、美咲の脳裏に夏流の笑顔が過った。

あの、透き通る様に綺麗で優しい、只一人の親友の顔が…。

自然と言葉が漏れる。

「解っている…。
貴方の言葉が正論だって事に私だって嫌な程、解っている。
だけど、どうしても許せない!
どうして夏流なのよ!
どうして私の親友を傷つけようとするの!
どうして…。」

と泣き叫ぶ美咲を貢が力の限り、抱きしめる。

一瞬、自分の身に起きた事に美咲は思考を巡らせる事が出来なかった。

耳元で翳める貢の声にぴくり、と体が震える。

「泣くなよ…。
君がそんな風に泣く姿を俺は見たく無い。」

優しく髪を梳きながら自分に語りかける貢に、美咲は抱擁を振る解く様に貢に伝える事が出来ない。
何時も自分に対してシニカルで、高慢な態度でしか話さない貢の初めて見せる優しさに美咲が戸惑いを隠せない。

ふと、貢の抱擁が解かれる。

自分をじっと見つめる表情が真摯で逸らす事が出来ない。

堪らなくなって目を瞑ると、柔らかい感触が自分の唇に触れた。

キスされていると知った時、逃れようとしたが、貢に後頭部に手を回され深く唇を貪られる。

キスの合間に頭を振り拒もうとする美咲の身体を強く抱きしめ、更にキスを深めていく。
激しい貢の行為に喘ぐ美咲の耳先で、貢が掠れる様に囁く。

「君が好きだ」、と。

貢の突然の告白に美咲の抵抗は鈍り、思考が完全に停止した…。


「豪さん。」

自分を呼ぶ声に豪の身体に緊張が走る。

「美樹…」

「あちらに塩崎物産の社長が是非、ご挨拶をしたいと申されています。
一緒に伺いましょう。」

艶やかに微笑みながら美樹が豪の腕を取る。

ちらりと会場の時計に目をやり、豪が心の中で舌打ちする。

夏流との時間が迫っている事に焦りを感じた豪が美樹の申し出を断った。

「済まないが、もう、今日は引き上がらさせて貰う。
まだ仕事が残っているんだ。」

「…」

「済まない美樹。
家迄送るから、一緒に会場を出よう。」

豪の言葉に美樹がやんわりと言葉を遮る。

「今、豪さんが手がけている仕事が落ち着けば、わたくし達の結婚を進める事が出来るんでしょう?」

美樹の言葉が豪の心に深く突き刺さる。

「門倉の路子様が亡くなられて、今年の秋で3年目になります。
3回忌が終わったらわたくし達の結婚を行うと豪さん、貴方との約束でした。
わたくしは早く貴方の妻になって、貴方を心身共に支えたい…」

熱の籠った瞳で見つめられ豪の喉は渇き、息苦しさを全身に感じる。

呻く様に言葉が漏れる。

「美樹、それは…」

「貴方のお母様が既に式を行う会場や、ご招待する方々のリストを一緒に確認する事をわたくしに申されています。
それに忍さんもこの事を伝えたら、殊の外、喜ばれましたわ。
やっと、貴方の幸せな姿を見る事が出来ると。
貴方が路子様を亡くされて気落ちされていた事に、忍さんが心を痛めた事をご存知でしたか?
先日、忍さんはわたくしにわざわざ連絡を下さり、こう申されました。
「兄貴を幸せに欲しい…」と。
何度もわたくしに申されて、わたくし、忍さんの言葉に甚く感動をしました。
ああ、なんてわたくしは幸せなんだろうかと。
貴方の家族に祝福されながら妻になるわたくしは、誰よりも幸せな女とは思われませんか?
豪さん…」

ゆっくりと、語りかける美樹の言葉が堪らなくなった豪が踵を返し美樹に背を向けた。

「豪さん…」と呼ぶ言葉に、一瞬、振り向き豪が言葉をかける。

「済まない、急いでいるから先に帰らせてもらう。」

「…」

「済まない」と短く言葉を切り、豪は会場を後にした。

車に乗った後、豪は直ぐさま、夏流の携帯に連絡を入れ、何コール目かに出た夏流に今から迎えに行くと伝え、携帯を切る。

深く息を吐きながら、ステレオにスイッチを入れ、逸る心をどうにか落ち着かせようと椅子を倒しながら目を瞑る。

先程の美樹の言葉が脳内に木霊する。

「夏流、俺は…」

心を通わせて見せる様になった夏流の笑顔がふと、過る。

「愛している、夏流…。
君だけを。」

倒した椅子を元に戻し、流れるクラシックに心を傾けながら、エンジンをかける。

夏流の、あの柔らかい笑顔を、仄かに薫る甘い感触を早く抱きたいと思いながら、豪は夏流のマンションへ向った…。



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