閑話その3 動きだす感情 …豪、わたくしを許して…。 貴方の人生を奪ったわたくし達を、「門倉」を…! 「…夢か」 冷やりとした汗が額から流れる。 その感触を指に湿らせた途端、動揺している自分に嘆息が零れた。 夏流と愛を交わす様になってよく見る様になった。 祖母の…、俺に許しを請う姿を…。 (貴女を責めてはいない。 これも俺が生まれた時に決まった運命だと思い、「それ」を受け入れた。 だから、夢に迄俺に許しを請う姿を見せないでくれ…) 門倉の祖母が亡くなって二年。 一番の理解者であり、只一人の…、俺の身内だった。 いや、違う。 まだ、俺には血のつながりがある人物が…存在する。 ふと、隣に眠る夏流に視線を落とした。 「夏流…」 額にかかる髪を梳き、唇を寄せる。 髪を梳く指が微かに震えてる事に苦笑が漏れた…。 「俺は君と愛を交わして欲が出てしまった。 今だけではなく、君と生きる未来迄欲しいと願う欲が。 こうして腕に抱きしめて、君への愛を身体に刻み、そして愛の言葉を君から囁かれてもなお、俺は君の全てが欲しい。 俺だけを見つめて、俺だけに心を開いて、俺だけを愛して、ずっと側にいて欲しい。 夏流…」 感情に走る事が何を意味しているのか、最初から解っていた。 だから避けていた。 そう願う事が、今迄築き上げた「坂下豪」の全てを奪うと理解していたから…。 最初から無いモノだと思えば、それ以上に望む事も無い。 その感情すら存在しない。 それで良かったハズだった。 なのに俺は「運命」に出会ってしまった…。 夏流…。 俺は君に出会い心を奪われた時から、こうなる事を本当は望んでいたのかもしれない。 君が俺の全てを変えようとしている。 俺が本当に欲していた生き方を、手に入れようとする気持ちに向わせる… 今迄塞き止めていた願いが、今止めど無く心の中に溢れている…。 俺は。 俺は…! 「豪…?」 「あ、すまない、侑一。」 「…。 最近、休めているのか?」 「大丈夫だ。 少し考え込んでいた。」 (そうだ。 俺は今、侑一の社長室で…) 今いる自分の場所に俺は軽く微笑んだ。 その様子をどう侑一が見つめていたか、俺は知る由もなかったが。 少し間を置き、俺は侑一に話しかけた。 「これが侑一に依頼したかったモノだ。 何時頃、仕上がるだろうか?」 鞄から取り出し侑一に差し出すと、一瞬、侑一の瞳に揺らぎが走ったのを俺は見逃さなかった。 侑一は、俺の視線を感じ取り深く微笑んだ。 (まさか、夏流との関係を解ったのか…? まさかな。 最初に指輪のサイズ直しに関しても、母親からの依頼だと強調しているし、今回の指輪に関してもそうだ。 婚約者にプレゼントをするモノだと思うだろう…。 だが、俺が個人的に依頼するのもこれが初めてだから、何かを感じているのかも知れない…。) 侑一の秘書が俺たちの前に一つのケースを差し出して来た。 中を見ると、色々なデザインの指輪が収められていた。 「少し席を外すから、豪はゆっくりと選べば良い…」 侑一の意外な言葉に俺は一瞬、言葉が出なかった。 苦笑がふと、自然に漏れた。 「おい、社長が客に商品を見せたまま席を外すのか?」 からかう様に俺が侑一に言葉をかけると、淡く微笑み、あの独自の口調で答えた。 「僕がいない方が選びやすいだろう?」 「…侑一?」 「…決まったら携帯に連絡を入れて欲しい。 もし、そのケースに欲しい商品が無かったら、こちらのカタログを置いておく。 では、ごゆっくり。」 「…すまない、侑一」 侑一の申し出を有り難く思いながら、俺はひとつずつ、指輪を手に取り見ていった。 どれも華やかで素晴らしい輝きを放っているが、夏流の華奢な指にあうデザインがなかなか見当たらない。 ふと、一つの指輪が目に止まった。 デザインは気に入らなかったが、石の鮮やかで素晴らしい輝きに目が奪われた。 深い水色の、夏流のあの柔らかい雰囲気によく似た…。 (この石を使いシンプルなデザインの指輪なら、夏流の指に映えるだろう…) 夏流の姿を思い浮かべ自然を笑みが零れるのを、俺は抑える事が出来なかった。 デザインは…、と侑一に差し出されたカタログに目を通すと、丁度、あの石にあうデザインを見つけた。 「これがいい…!」 決まった途端、直ぐに侑一の携帯に連絡を入れた。 何時に無く興奮している俺の様に侑一が苦笑するのが窺えた。 社長室に戻って来た侑一に石とデザインを見せると、侑一の表情が綻んだ。 そしてこう俺に言った。 「この石を選ぶなんて、豪も目が肥えているね。」 「侑一?」 「最高級のパライバトルマリンを用意させるよ。」 「パライバトルマリンと言うのか、その石は。」 俺の問いに侑一が更に深く微笑む。 「…希望と言う言葉がその宝石に込められている。」 「…」 「今のお前に一番、必要な言葉だと思うよ、僕は」 「…!」 穏やかに微笑む侑一に俺は戸惑い、どう答えれば良いのか考え倦ねた。 (何を伝えようとしている、お前は…。) 「少し時間を貰うがいいだろうか?」 「…ああ」 「豪。 今とてもいい表情をしている…。」 「侑一?」 侑一が何を思い、その言葉を俺に言ったのかその時の俺は知らなかった。 その後、俺は侑一が夏流の存在を既に知っており、俺の恋情に気付いている事を知る様になる…。 もう一度、あの石を見つめ直す。 淡い輝きに夏流の姿が過った。 (この指輪を君に捧げる時、俺は君にプロポーズしよう。 君との未来を望む俺を受け入れてくれるだろうか…?) 「希望か…」 零れる言葉に、また俺は苦笑する。 俺の中の感情が動きだす。 一瞬、最後に会話をした祖母の言葉が心を翳めた。 「貴方が本当に愛する人が出来たら、何があってもその愛を諦めないで…。 「坂下豪」と生きるのではなく、本当の貴方として生きて、豪。 わたくしは貴方の幸せが何よりもの望みだから…! 豪…。 わたくしのただ一人の、孫。 貴方を誰より愛している。」 |