Act.28  熱情





彼女に初めて会ったのは今から3年前だった…。

車いすに眠りながら腰掛けている男に話しかける彼女を屋上で見かけたのが最初の出会いであった。
当時俺はバスケの試合中に左足の靭帯を痛め、救急に運ばれ入院していた。
手術を施行され、その後、固定の為に巻かれていたギプスが外され、低下した下肢の筋力の回復の為、屋上に上がるのが日課となっていた。

初めて彼らを見た時、俺は男の顔の造作がかなり整っている事に驚いた。

眠る男の美しさは際立っていた。
そして彼女の、透き通る様に美しい笑顔も。
見つめる彼女の視線の温かさに、柔らかい微笑みに俺は引きつけられていた。

いつの間にか、リハビリと称して屋上に上がり、彼らを見つめるのが俺の日常となっていた。

彼らではなく、彼女の笑顔を…。

毎日、夕方になると彼女はあの男を伴って屋上に上がっていた。

ずっと眠っている所を見ると、男に意識が無い事に俺は気がついた。

植物状態…。

瞬きすらしない様子だと多分、そうだろう。

一度俺は彼らを間近に見た。

男の膝にかけていた膝掛けが風に飛ばされ俺の足下を横切った祭に…。
拾い上げ彼女の元に持って行くと、一瞬、戸惑う様に俺を見つめ、そしてお礼を述べた。

あの、綺麗な笑顔ではなく、張りつめた…。

一瞬、俺の中に落胆が浮かんだ。

(何を俺は期待していたんだ…?
あの女の笑顔を見たかったのか?
俺に向けられると思ったのか、俺は…)

バカらしい、と心の中で失笑し、俺は軽く会釈しながら彼らの元を後にした。

その後、俺は彼らの姿を見る事が無くなった。

転医したのだろうか?、それとも、あの男の身に何か変化があったのだろうか?と思いつつ、それでも屋上に上がる事を俺はやめる事が出来なかった。

そんな中、俺の退院の日程が決まった。

回復の傾向は順調であり後は外来にてリハビリを行う事を医師に告げられた俺は、彼女にもう一度会いたいと思い、屋上に上がった。

居るとも思えない彼女にもう一度、会いたくて…。

屋上に上がり俺が見たのは彼女ではなく、あの男であった。
車いすに座っているのではなく、立ち上がり空を眺めている…。

(意識が戻ったのか…!)

驚愕する俺の隣から男を呼ぶ声が聞こえる。

「忍、こんな所にいたのか?」

「ああ、兄貴。
ごめん、最後にもう一度、この場所を見たくて上がっていた。」

「…。
下で朱美が待っている。」

「ああ、直ぐに降りる。」

(忍、と言うのかこの男は。)

ちらりと隣で「忍」と呼ぶ男を見つめた。
俺よりも背が高く、かなり顔が整った男であった。
但し、「忍」と呼ぶ男とは全然似ていない…。

余りにも似ていない兄弟の印象が強く、彼らの姿は俺の記憶の中で消える事が無かった…。

二年後、俺は彼女と就職先で出会う事になる。

彼女の名前は藤枝夏流と言い、俺よりも4歳年下で高校卒業後、この職場に就職した。
最初、職場で彼女に出会った事に、俺は心が震えた。
彼女は見た目通りに性格は真面目で、頑で、そして何事にも懸命であった。

俺の回りにいる女達とは余りも雰囲気が違う。

(あの柔らかい、優しい笑顔は誰にも向けないんだな…)

彼女を見つめながら思うのが、いつもそれだった。
就職して二年、その間に何人かの女と付き合ったが、俺が見たいと思う笑顔を浮かべる女は誰一人いなかった。
あの綺麗で、無垢で、そして温かい…。

時折、彼女に視線を落とす。
必死に仕事に取り組む彼女に、あの笑顔は無い。

(どうすれば俺が望む表情を彼女から引き出す事が出来るんだ…?)

焦りと、自分の中に苛立が芽生え、彼女に自然と絡む自分に心の中で嘲笑った。
シニカルに顔を歪ませ、彼女にかける言葉は回りの女達に言う甘い言葉ではない。

素の俺の、自然な言葉。

彼女に嫌われている事を知りながらも、普段、見せる「顔」を彼女には向ける事が出来ない。
そんな事をしたいと思わない。

自然な俺を彼女に知って欲しい。

それが彼女にもっと混乱と誤解を持たす事になる事を知りながらも、俺は素直な自分を彼女の前にさらけ出していた。

そんな彼女との付き合いに、一つの転機が訪れた。

彼女に男が出来た事によって…。

3ヶ月前に、行きつけのカフェで男と一緒に食事をとっている彼女を俺は見た。

そしてそこで俺は望んでいたあの笑顔を見つめる事になる。

あの、綺麗で優しくて、柔らかい…。

一瞬、心の中に激しい衝撃が襲った。
それが何かは充分知っている。

「嫉妬」

そう、俺は一緒にいる男に激しい迄の嫉妬を抱いた。
彼女からあの笑顔を引き出したあの男に、狂おしい迄の嫉妬と憎しみを。
柔らかい笑顔を浮かべる彼女が欲しいと思った。

誰にも渡したく無い…!

ああ、俺は彼女に恋をしている。

あの時から俺は既に彼女に心が奪われていたんだ…!

遅過ぎた気持ちに気付いた俺は苦笑いを浮かべるしか出来ない。

彼女の気持ちが俺に傾く事は無い…。

そうだろう?

この二年間で、引き出す事が出来なかった笑顔を浮かばせたあの男に敵うはずが無い。

諦めないといけないのか、この想いを?

やっと気付いた「恋」に簡単に終止符を付けるのか、俺は。

葛藤の中で、俺が出した答えは「否」だった。

やっと見つけた「本当の恋」。

何事にもドライで、恋愛に何かを求める事なんて無かった。

くどく俺に絡み、付き合いが始まると自分勝手でワガママな女達にうんざりしていた俺を初めて本気にさせた女。

だから行動を起こした。

彼女に俺という存在を意識させる為に…。

「あの男に宣戦布告だと言ってくれ」

俺の恋は、あの言葉を放った事によって動き始めた…。




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