閑話その2 白い花




「夏流。
今日の夜に別荘に行くから、先に別荘に行って待っていてくれないか?」

急な豪さんの言葉に私は戸惑いを感じ彼に言った。

「何か急用があるのなら、今日は逢うのは控えた方が…」と言葉を紡ぐと、豪さんから今日、こっちに戻るから直接向うとの返事が返って来た。
商談でここ何日か日本を離れていたのは聞いていたが、まさか今日帰国するとは思わなかった私は、豪さんの身体を考え逢う事を
断ろうとした。

そんな私の気持ちを察した豪さんが携帯越しに苦笑を漏らす。

「夏流に逢う事が俺の身体を労る事なんだ…」と言う、豪さんの声が何時にも増して艶を帯びている。

「夏流を感じたい…」と言う言葉に羞恥が走り、上手く返事をする事が出来ない。

言葉を詰まられながら、「私も豪さんに逢いたい…」と小さな声で囁くと、とても嬉しそうな笑い声が聞こえた。

「遅くなるかもしれないから、先に休んでいてくれ。」と言われて、私は豪さんとの会話を終えた。

準備を整え、絹代さんに連絡を入れる。

駅に着いたら向いを寄越すとの絹代さんの心遣いに感謝し、私はマンションを出た。

駅に向う途中、ケーキ屋さんでお気に入りのフルーツ入りのロールケーキとシュークリームを買って、バスに乗り込む。

目的地迄、二時間は時間がかかる…。
バックの中に偲ばせていた小説を取り出し、私は本の世界に意識を没頭させた。

駅に着くと既に絹代さんが迎えに来ていてくれた。

昼食を絹代さんご夫婦と一緒に取り、その後、お茶をしながら豪さんの昔話に花を咲かせていた。
私の知らない豪さんの色々な話を聞きながら、ふと絹代さんが目を細めて、私をじっと見つめた。

「夏流さん…。
豪様の側を決して離れないで下さいね。
何があっても…!
あの方は何時も坂下家の事、そして義弟の忍様を思い、自分の感情を抑えてきました。

生前、路子様はそんな豪様を何時も気にかけ、心を痛めていらっしゃいました。

豪様は自分の幸せを考えようとしないと申されて…。

坂下家を継ぐ為に、幼い頃から親しんでいたピアノにも触れなくなり、夢を断たれても何時も穏やかに微笑み、辛い事があっても
決して感情に走る事も無く…。

二年前、路子様が亡くなられた時も、豪様はただじっと涙を耐えて静かに見送られていました。

一番の理解者であった路子様を失って豪様は、増々仕事にのめり込んでゆかれました。

路子様を失った哀しみを忘れようと、そして…。」

急に言葉を下ろし、穏やかな瞳で私に微笑んだ。

「貴女に対しての恋情を忘れようとなさっていたのですね、豪様は。」

絹代さんの言葉に、私は一瞬、どう応えればいいのか、解らなかった。

不思議そうに見つめる私に絹代さんはくすり、と笑みを零した。

「3年前…。

豪様が久々に、この別荘にてピアノを弾き始めたんです。

弾かれる曲目が全てが恋に身を焦がす内容ね、と、路子様が柔らかく微笑みながら申されましてね。

最後迄、豪様の恋が実る事を望まれながら、この世を去ってゆかれました。

今の豪様を路子様がご覧になられたら、心から喜ばれますでしょう!

あんなに幸せそうに笑う豪様をまた、見る事が出来たのですから…。」

そう言い終える絹代さんの目には涙が滲んでいた。

「年を取ると涙腺が弱くなって」、と涙ぐみながら話しかける絹代さんに、私も釣られて目が潤み、涙が溢れた。

その後私達は夕食を済ませ、一緒に片付けを終えた絹代さんを見送り、ゆっくりとお風呂に入った。
お風呂から出た後、ソファに座り時計を見つめながら、豪さんが到着するのを待った。
温かい湯につかり身体の緊張が解けた私は、いつの間にかソファでうとうと、し始めた…。

目を覚ました時、隣に温かい感触が伝わる。

視線の先に私を抱きしめて眠る豪さんがいた。

いつの間に帰って来たんだろうか?と思っていると、すと豪さんの目が開かれた。

「起こしてご免なさい…」と俯きながら囁くと、豪さんが私の顎に手を添え、視線を合わせた。

そして唇が近づきキスをされる。

下唇を突かれ、開いた唇にそっと彼が舌が入り絡まる。

未だに慣れない豪さんとの深いキスに息が詰まりそうになり、思わず彼の部屋着をぎゅっと掴んだ。
離れた唇から、荒い息が零れる。

目を潤ませ、息がなかなか整わない私に微笑みながら、項に唇を寄せた。

ざらりとした感触が全身に伝い、体が高揚する。

「駄目…」と囁く私に、「何故…?」と彼が耳元で甘く囁く。

くすくすと楽しそうに。

「今朝、言っただろう。
夏流を感じたいって。
夏流は、俺の事を感じたく無い?」

甘く耳朶を噛まれながら囁かれ、甘い痺れが体中に伝わり、購う事が出来ない。

私の部屋着に手をかけた瞬間、サイドテーブルに置いてある携帯から音が鳴った。

「豪さん、携帯が…」と言う私の言葉を無視し、そのまま私の部屋着のボタンを外し始めた。
豪さんの行動に顔が真っ赤になりながらも、なかなか止まらない携帯音に、彼の手を遮り出る事を促せる。

深い息を吐きながら、豪さんは渋々、携帯を手に取り会話をし始めた…。

ベットから起き上がり、窓辺に立ち、豪さんは会話を続けている。

誰だろうか…、と起き上がり豪さんの様子を窺う。

目を細めながら楽しそうに話しているのを見ると、相手はとても親しい間柄みたいだ。

「…なかなか出ないから、何があったんだと思い心配したぞ。」

「思ってもいない事を言うな、輝。
どうせ、また、六家の集いの誘いだろう?
今回は誰が主催になる?
順当としてはそろそろ、孝治かな?」

「いや、今回は侑一だよ。
明日の夜、必ず参加しろよ。
今後の為に…。」

「どうして、そう思う?」

「いや。
ただ、お前、今日帰国してそのままマンションに帰らなかっただろう?
今、何処にいる。」

「…」

「答えられない場所か。」

「門倉の別荘にいる…」

「…そうか。」

「夏流と。」

「…っ!」

「そう言ったらお前は俺に協力してくれるのだろうか?
輝…」

深い豪の声に、輝が息を呑みそして携帯越しに微笑んだ。

とても嬉しそうに。

「ああ、勿論だ…」と輝の返事を聴き、豪は輝との会話を終えた。



ふうう、と息を吐く豪がまた艶やかな視線を夏流に向けた。
起き上がっていた夏流を抱きしめ、そっとベットに横たえる。

「今、誰と話していたの…」と言う言葉がいつの間にか、豪の唇によって飲み込まれる。

夏流の唇を奪いながらただ一言「愛している…」と囁き、豪は夏流を愛し始めた…。



からん、とグラスの中の氷が解けた音が聴こえる。
ふと、その音を聞きながら輝は微笑んだ。
先程の豪との会話に頬が緩むのが解る。

そんな輝の隣にすと座る気配がした。

隣に座った男を見て、輝の表情が変わる。

「どうしてお前がここに…」と、このバーにいる事をどうして知ったのか、不思議でならない。

それ以上に、この男の行動を分析する事が出来ない自分に、輝は歯がゆく感じる。

心の中で舌打ちしながら、あくまでも冷静を装い隣の男に言葉をかけた。

「侑一。
俺に何か用か?」

輝の硬い声に、侑一は淡く微笑む。

「明日の夜、豪は集いに参加する事が出来るのだろうか?」

「何故、今、俺たちが話していた内容をこいつは知っている…!」と輝は驚愕する自分をどうにか抑えながら侑一の言葉に返事をした。

「参加するだろう?
急に、何故そんな事を俺に聞く。」

輝の言葉に侑一がもっと深く微笑み言葉を続ける。

グラスに生けてある茉莉花の花に触れながら…。

「…やっと白い花を手に入れたのに、その時間を集いの為に使う事が出来るのかなと、思ってね。」

目を細め、茉莉花の花の香りを楽しみながら、ゆったりと話す侑一の言葉に、輝は手に震えが走り、思わずグラスをテーブルに落とした。

ぽとぽととグラスから流れるウィスキーを、ただただ見つめるしか出来ない。

唇が震えて上手く言葉が出来ない輝に、侑一の微笑みがまた深くなった。

「何が言いたい…」と低く言葉を紡ぐ輝に、侑一はゆっくりと輝に言葉をかけた。

「豪が僕に直に指輪の依頼をしてきた。
亡くなった祖母の指輪らしきモノと、そして特注で指輪を作って欲しい、と。」

侑一の言葉に輝が自分の身体の体温が一気に下がる感覚に陥った。

「…どうして俺に言う。」

「事の顛末を一番、よく知っているのが輝だと僕は思うから。
だからこの事を輝には伝えないといけないと思った。
豪の想いを守る為に。」

「…」

「相手は忍君の想い人だよね、輝。」

「…それ以上人の心を暴こうとするな、侑一!」

だん、とテーブルを叩く輝の形相を見て、侑一は苦笑を漏らした。

「…怒らせてごめん」と謝罪する侑一に輝は息を落ち着かせ、無言を通す。

「輝…。
僕はね。
豪の行動は正直、忍君に対してフェアではないと思っている。
だけど、それ以上に豪の今迄の人生を見つめると、ね。
その言葉を飲み込んでしまう。
豪が無くしたモノが余りにも大きいと思うから。
だから…」

侑一の言葉に輝の瞳が揺らぐ。

じっと侑一の言葉を聞き入っていた輝が、ぽそり、と言葉を発した。

「豪を助けてやってくれ…」と…。

その言葉に侑一が微笑み、深く頷いた…。



侑一との会話を終えた輝は、バーに残り、ウィスキーを飲み始めた。

ふと、目の先にある茉莉花の花を見つめる。

侑一が言う様に、夏流はまさにこの白い花の様だ。
豪にとって唯一の「花」。

今、豪は誰よりも幸せだろう…。
夏流を愛し、その腕に抱いているのだから。

だが、それ以上に深い苦しみを抱いているだろう…。

だから今だけは幸せを感じて欲しい。



何も考えず、ただの「坂下豪」として…。


 

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