Act.23  波紋 その3





「どうしよう、これ…!」

マンションにあの後、直ぐに帰った私は、首筋にくっきりと付けられた痕に、真っ青になった。
豪さんと逢う、週末迄、痕が消えないそうでは無い…。

問われたらどう、答えたらいいのだろう?

「こんな…。
豪さんに逢えない。
こんな事があったなんて、言えない…!
もう、何故あんな事を言うのよ、有光さんは!
私の事が好きなんて信じられない。
絶対に、からかっているに違いない。
たちの悪いいたずらだわ、これって。
もう、本当にサイテー…!」

首筋を指を何度も這わせながら、私は悔しさのあまり、涙をぼろぼろ流していた。

その夜、私はなかなか眠る事が出来なかった私は、本を読みながらベットで横になっていた。
ふと、携帯の音が鳴った。

時計を見ると11時を過ぎていた。

「こんな時間に誰だろう…」と携帯の画面を見ると、それは豪さんだった。
急な彼の電話に私は戸惑いを隠せなかった。
何時もなら嬉しいはずの豪さんの携帯なのに…。
有光さんとの出来事がまた頭に過った事に、私はかぶりを振って打ち消した。

「夜、遅くに電話をして済まない」と何時もより少し弾んだ豪さんの声が私の耳に深く入り込む。
豪さんの声を聴きながら、「豪さん、何にかいい事があったのですか?」と問うと、言葉を濁す。
なかなか話をしおうとしない豪さんに私は、「聞かない方がよかったでしょうか?」と戸惑いながら言葉をかけた。
私の言葉に、「いや…」と少し照れてる様が窺える。
本当に何があったんだろうと?と疑問が思考を満たしたが、直ぐさま、それを打ち消す言葉が豪さんから発せられた。

「明日、逢えないだろうか?」

急な豪さんの誘いに、私は今迄に無い程、心が跳ね上がった。

「明日…」とぽそり、と呟く様に零れた言葉を豪さんが「急で済まないが、逢いたい…」と穏やかさの中に艶やかな声音を含みなが話す。

(逢いたい…。
でも、もし、有光さんとの事がバレたら…)

「夏流?」

「…解りました。
明日、何時に?」

「明日、仕事が終わったら、マンションに帰っていてくれ。
仕事が終わり次第、連絡する。

なるべく早く、仕事を終える様にするから、夕食は一緒に取ろう。」

豪さんの言葉を聞きながら、仕事が過密なのにそんなにまで時間を作って逢おうとする気持ちが嬉しかった。

だけど、もし、このキスマークを見たら…。

「夏流?
どうかしたのか?」

返事をなかなかしない私を心配する豪さんに、私は、「もし構わなければ夕食の準備をさせて下さい」と伝えた。

私の言葉に、とても嬉しそうに笑う豪さんの声が聞こえる。

「明日がとても楽しみだよ。
おやすみ、夏流。」

「お休みなさい…」

話終えた私はベットから起き上がり、明日の夕食の献立を考えるべくメモ紙に、献立リストと食材を書きとめた。
豪さんが好きな料理が何かを絹代さんから聞いていて、密かに習っていた事が役立つなんて、本当に良かった、と心から安堵した。

(でも、何時になるかしら。
マンションで、下準備をしてすぐ温めれる様にすればいいかな?
うん、そうしよう!)

明日、豪さんと逢う事で一杯になっていた私はすっかり有光さんとの出来事を忘れていた。

これが後で、どんな事を引き起こすかを知らずに…。

次の日、職場に行くと有光さんから、バレッタと紙袋を手渡された。

有光さんの顔を見て引き攣らせる私に苦笑を漏らす。

「昨日は済まなかった。」と有光さんが謝罪の言葉を紡ぐいでいるハズなのに、それが心に響かないのは何故だろうか?と思いながら、
差し出すバレッタを受け取った。

紙袋を受け取らない私に、押し付ける様に私に手渡す。

「それじゃあ。」と仕事に戻る有光さんの表情は、また何時もの様にシニカルに歪んでいた。

(何だろう?
あれって。
どうしてああも、私に対して嫌みなのよ。
それにこれは何?
全く、もう!)

と、ぶつぶつ文句を言いながら紙袋の中を見ると、それは紅茶とクッキーだった。

「え?

これ、ハロッズのNO.14とあのカフェのクッキーじゃあないの!

あの店って、職場から車で一時間以上かかるのに、あの後行ったの?

私の為に?

それに私が好きな紅茶の銘柄。

有光さんが知っていたなんて…!」

意外な彼の行動に、私は今迄に無い程焦ってしまった。

伝票を差し出す有光さんの顔をマトモに見る事が出来ない。
そんな私の気持ちを察したのか、有光さんは、また、あの独自な笑顔を私に向けた。

仕事が終わり、私は直ぐさま食材を購入してマンションに帰り夕食の準備に取りかかった。

(何時になるのかしら?
豪さん、私が作った食事、気に入ってくれたらいいけど。
多分、食事はここではなくて、豪さんのマンションでになるよね?
こんな、狭い場所で、豪さんが食事をするとは到底思えないし。)

ぐるぐると考えが頭の中に過る自分に呆れながらも、豪さんの事を思う自分に喜びも感じている。

どうしてこんなにも自分の心の中に彼が入り込んだのだろうか?と思うと、ふと、今日貰った有光さんの紙袋が目に入った。

あの、シニカルな笑いに人を小馬鹿にした態度。

なのに、今日見せた彼のこの行動に、それが有光さんの全てではないと思う様になっている。

そしてもしかして、あの時、私に発した言葉が本当に心配しての助言だったのでは?と思う様になっていた。

だけど、キスマークをつけた行動が許されるかと言うと、そんな簡単な問題ではない。

キスマーク、と思い出した途端、私は今日、豪さんと会う事を応じた自分に落ち込みだしてきた。

(あああ、どうしよう!
豪さんに、もし、これが見つかったら…。
何層にもファンデで塗って隠したけど、逆に不自然な感じがして可笑しい。
いや…。
どうしよう。
豪さんに問い詰められたら、本当にどうしよう…!
嫌われる。
絶対に呆れ果てて、嫌うに決まっている。)

悩みながらも、どうにか食事の下準備をした私は豪さんが来るのを待ちわびながらも心は深く沈んでいた。

時計を見ると夜の9時になろうとしていた。

豪さんの連絡はまだ来ない。

(いつも、こんなに遅く迄、仕事をしているのかしら…)

豪さんの身体が心配になってきた私は、今日、私に逢う事が本当に良かったのだろうか?と悩み始めた。

仕事が終わってゆっくり身体を労って欲しい、と思い、携帯にメールをしようと思った瞬間、豪さんからの連絡が入った。

「後30分で、仕事が終わるから、迎えに行く」と言うメールを見て、私は今、打とうと思った文面を破棄した。

「やっと、仕事が一段落ついたか…。
夏流をかなり待たせてしまった。
今日、もし、可能なら夏流にマンションに泊まる事を促そう。
そうすれば、ゆっくりと指輪の事で話が出来る。」

そう思い、夏流にまたメールを打ち出した携帯に、連絡が入った。

画面を見た俺は、かけて来た相手に表情が硬くなり一間を置いて会話を始めた。

「今日、お会いする事が出来ませんか?
豪さん。」

「済まない、美樹。
今日は俺は、この後、用事がある。
また、明日にしてくれないか?」

俺の言葉に穏やかに微笑む様が携帯越しに聴こえる。

「では、明日、「一光」に予約を入れておきます。

豪さん…。

ここ何ヶ月間か、随分、お仕事に追われている様ですが、週末の為ですか?」

美樹の言葉に、今迄に無い程の衝撃が俺に身体を支配した。

なかなか返事をしない俺に、美樹がまた穏やかに微笑む。

「解っています。

貴方が3年前から、想う方が出来た事くらい解っています。

その相手が誰かも。

でも、豪さん。

貴方は、「坂下豪」なんです。

これは貴方が生まれた時から定められた運命。

そしてその伴侶として貴方の側で生きるのは、わたくしです…。

それは覆す事の出来ない事柄。

半年後。

それが決定事項になる事もお判りですよね?」

「…美樹!

俺は君を一生、愛せない。

3年前、俺はその事を告げて婚約を破棄したはずだ!」

「ええ、そうですね、豪さん。

貴方が一方的に告げた言葉であって、その事は誰も認めてはいらっしゃいません。

勿論、わたくしも。

ご用件はそれだけです。

明日、またゆっくりとお話ししましょう、豪さん。」

鈴を転がす様に笑う美樹に、俺は全身に汗を滴らせ手を握りしめていた。
無言を押し通す俺に、美樹が携帯越しに艶やかに笑う。
携帯を切る時に言った美樹の言葉に俺は、携帯から耳を離すことが出来なかった。


「忍さんが知ったら、貴方達の愛はどうなるのかしら…?」





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