Act.9 ラベンダー





次の朝、出勤すると直ぐさま社長室に来る事を促された。
こんこんとドアをノックし、中に入ると社長から椅子に腰掛ける事を勧められた。

「藤枝君。
坂下さんは君の力になってくれたかい?」

急な社長の言葉に夏流は言葉を失った。

かろうじて「はい」と返事をすると安堵する気配が感じられた。

「一昨日、君の事情を聞き、私は君には済まないと思ったが、坂下さんに連絡をさせてもらった。
実は坂下さんは君を我が社に押した人物でね。
就職活動を行っていた君を我が社に薦めたのは、実はあの人だった。
最初、どうしてあの「坂下」の後継者が君を推薦するか不思議でしかなかった。
事情を聞くと、坂下さんの義弟さんが君に大層世話になったと、言われてね。
学園での成績も優秀で、人柄も申し分無いから是非、雇って欲しいと頭を下げられて。

私は驚いたよ。

あの人の会社に比べたら、取るに足らない会社の社長である私の目の前で、彼は深く頭を下げた。
私はその時の坂下さんの真摯な姿を見て、君を雇おうと決めた。

その後は…、君が坂下さんが推薦するだけの人物だった、と君の事を評価している。」

「…」

「その様子だと坂下さんは君を助けたんだね。」

「はい」

「良かった。

これで私も安心したよ。
君にはこれからも我が社で、頑張って欲しいと思っている。
藤枝君。
これからも頼むよ。」

社長の言葉に夏流はいつの間にか涙を流していた。

かろうじて「有り難うございます」と一言言葉を言い、社長室を後にした。

(ここで努力していた事が認められていたんだ。
初めての職場で仕事を憶えるのに必死で、ただひたすら働いてきた。
ミスもあったし、仕事が辛くって何度も泣いた。
だけどそんな時、いつもみんなに助けられた。
そして今もこうしてまた助けられている…。

坂下さん…。

どうして、私にここまでしてくれの?
坂下君の事はあの時、終わっている事なのに、貴方はその後も私にこんな…!
どうしてなの?)

沸き上がる疑問は夏流の心にまた一つ、波紋を引き起こした。
さざ波の如く起きるその気持ちの波は、確実に夏流の心を揺れ動かしている。

「坂下さん」と言葉をまた紡いだ。

仕事は終わる間、夏流は豪に対する疑問を拭う事が出来なかった。

退社の後、いつもの様に夏流は母親の病院に向っていた。
病院に向う途中に、病室の花が枯れそうだったのを思い、花屋に立ち寄って、赤い薔薇を買おうとした。
その時、目についたラベンダーがまた夏流の心を揺さぶった。

あの時、豪との食事の時に見た…。

無意識に薔薇と一緒にラベンダーを購入していた。

病院に着き、目覚める事のない母親の姿に、落胆とも言える気持ちに駆られながら、薔薇を花瓶に生け、
椅子に座り一方的な会話をする。

面会時間の終わりを告げる放送に夏流は、母親にお休みの言葉を告げ、病院を後にした。

マンションに戻り、テーブルの上に買ったラベンダーを置く。

そっと花弁に触れ、あの時、ラベンダーの花言葉に心を捕われていた事を思い出した。
花言葉を調べ、その言葉に夏流は顔に朱が走った。

「あなたを待っています。」

(な、何を考えているの、夏流!

どうして急に、坂下さんの事が浮かぶの?)

あたふたする夏流の心にふと、多恵の言葉が過った。

「坂下さんね、夏流。
私達に1000万の小切手を差し出された時、こう言ったの。
僕は彼女に大切な義弟を助けられた。
だから彼女に恩返しをしたい。
でも彼女の性格ではそれを断る事も知っています。
だから敢えて、私は貴方達に直接、融資と言うカタチで受け取って頂けないか、と。
その小切手を喉から手が出る程、欲しいと思ったけど、でも私達はお断りを入れたの。

それは出来ない事だと思ってね。

確かに1000万は欲しいけど、そうすると夏流の気持ちを曇らせてしまうから。
夏流に泣きついた私達が今更何をと思うけど、でも、夏流の事を思うと逆に受け入れたらいけないと思ったの。

そうしたら、坂下さんは頭を下げてね。

私達の気持ちも考えずに、勝手な事を申し出て済まない、とね。

何かあったら是非、連絡して欲しい、と何度も言われて。

余りにも真剣な坂下さんに、逆に恐縮してしまって。

夏流…。

あの人はね。

夏流の事を…」

それ以上、多恵は言葉を続けなかった。

ただ、これは私の勝手な想像と意味深な言葉を添えて会話を終わらした。

あの時もまた、心に一つ波紋が広がった。

(坂下さん…。

私はまた貴方に会う事を心から願っているの?

だからこの花を…?)

震える指先で何度も花弁に触れながら、夏流は思い倦ねていた…。


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