Act.10 始まろうとする想い 





あの嵐の様な一日は私の心に不確かな何かを芽生えさせていた。
あの人の事を思い出すと、ちくり、と痛みが走る。
その都度、私はテーブルにあるラベンダーを見つめる。

「私は待っています。」

不思議な気持ち。
こんな気持ちになるのは初めてだ…。
坂下君にも、透流君にも感じた事もない「気持ち」。

坂下君…。

坂下君と出会い、そして7年後に彼だと知らずに再会した時、私は彼がとても苦手だった。
感情を隠す事無く、私を強く求める彼の気持ちが怖かった。
私の全てを奪おうとする、彼のひたむきな想いが怖くて、私は受け入れる事が出来なかった。

彼は7年前、私の為に目覚めて、そして深い眠りに落ちた…。

彼の暗い瞳が何を訴えているのか、私は知らなかった。

それを知った時、私は悟った。

ああ、彼はもう一人の私だと…。

性別も、視点も、意識も、生い立ちも、何もかもが違うのに、だけど彼は私に一番、近しい人物であり、そして一番の理解者であった。
彼の目を通して、私は自分を見つめていた。
自分の中にある、過去の痛み、哀しみ、そして人に対する願いと、想い。
全てが彼によって暴かれ、そして彼によって切り開かれた。
彼が目覚めた時、私は思った。
彼がとても愛おしいと。

確かに彼に深い想いを抱いた。

愛だったのだろうか…?と言うと、正直、解らない。

だけど、確実に私にとって、彼は「特別」だった…。

今、彼に逢えば私はどう、彼の事を思うのだろうか?

大切だと思う。

好きだとも思う。

だけど、「愛」は…?

「愛」は存在するのだろうか?

解らない。

でも…。

ふと、坂下さんのあの、深い瞳が心の中に蘇った。

あの人の、穏やかで優しい声、自分を強く抱きしめたあの温かさ、劣情の中に訴えたあの瞳の熱さ。

あれは、今迄感じた事のない、「感情」。

坂下君からも、そして透流君からも感じた事も無い…。

あの瞳の意味を知りたいと思う。

でも、知れば私は戻れなくなる。

だから怖い。

知るのが…。

知ると坂下君の存在が、今迄の私の全てが変わってしまう。

このまま穏やかに時を過ごすのが一番だと、変化を求める事が何を意味するのか解らないのに、冒険なんてしたく無い。

そう、もう何かに脅かされる事も、心を深く傷つける想いに駆られたく無い。

だけど、この心を翳める痛みは…。

(坂下さん…)

貴方は私にとって、どんな存在なんだろう…。

考えに耽けこんでいた夏流は、あの日、豪から貰った焼き菓子の中に入っていたカードを、引き出しから取り出した。
貰った焼き菓子は豪が言う通り、とても美味しかった。
また、行きたい…とそう思った途端、バックから手帳を取り出し、明日の予定が何も入ってない事を確認すると、夏流は明日の朝からあのカフェに
行く事を思い立った。

住所を見ると郊外にあり、駅からバスで一時間位かかる場所だと知る。

モーニングの時間に間に合う様に行くには、何時に出れば良いのだろうか?と思い、時間を定める。
明日の準備が終わり、ベットに潜り込むと、視界に温かな光が差し込んだ。
モザイクランプの淡い光に見つめながら、夏流は明日の予定に心を弾ませる。

眠る前…、夏流の心に過ったのは、豪の優しい笑顔だった。

恋が確実に自分の前に近づいている。

それを認めようとする思いと、否定する思いが交差する気持ちの中で、夏流に眠りについた。


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