Act.24  波紋 その4





携帯を切った美樹がふと、微笑んだ。

「これで豪さんもご自分の立場というモノを、考え直したかしら。
本当にどうしようもない方…。
「坂下」と言う存在が、豪さんにとってどんな意味を含んでいるか、今更ながらの事なのに、恋情と言う、
個人的な感情で全てを崩そうとなさっている。

本当に愚かな…。

豪さん。

貴方は所詮、「坂下」から逃れられない。

そして貴方の側で生きるのは、彼女ではなく、わたくし。
これは貴方が生を受けた時から、定められた運命。
それを覆す事等、貴方には出来ない…」

そう、貴方が誰よりも優しい人物だから…、とつぶやき、美樹はチェストに置いてある写真を見つめた。

成人式の時の写真である。
美樹の成人式の祝いに駆けつけた豪との。

互いが穏やかに微笑み合って写っている写真に美樹の視線が揺らいだ。

「豪さん。

どうして貴方の心を奪ったのが、わたくしではなく彼女だったのですか?

わたくしは貴方の心を奪われた事を知った時、初めて貴方を憎みました。

貴方はわたくしに対して、何時も穏やかで優しくて、そしてとても残酷だった。

わたくしに触れようともしない理由も解っていました。

わたくしに対して愛情があっても、それは男女間での愛情ではない。

貴方の瞳に浮かぶ感情はまさに親愛の情。

そう、わたくしは貴方のとって一人の女では無かった。

それがどれだけ残酷な事かをも、貴方は知っていた。

だけどわたくし達は「坂下」を受け継ぐものとして、互いの立場を受け入れいなければならないと解っていたから、
貴方は、わたくしを誰よりも大切に扱った。

貴方に女として愛されなくても、誰よりも大切な存在だと思われている。
それでも良かった。
貴方を愛していたから。

なのに、貴方は彼女を愛した。

最愛の義弟である忍さんの想い人を、貴方は愛してしまった…。

誰よりも深く…!」

震える唇を噛み締めながら美樹は写真立てを床に投げつけた。

パリン、と割れる音が部屋中に木霊する。

割れた写真立てを見つめる美樹の瞳には、涙が浮かんでいた…。

美樹との会話を終えた豪は暫く、その場から動く事が出来なかった。
美樹が最後に言った言葉が脳裏に焼き付いて離れる事が出来ない。
ふと、携帯の音が鳴った事で、今迄彷徨っていた意識を取り戻した。

携帯を見つめるとそれは夏流からのメールだった。

今の時間を改めて知った豪は、直ぐさま夏流の携帯に連絡した。

携帯に出る夏流の声を聞いて、豪は今迄緊迫していた感情が一気に緩んだ。
「済まない、夏流。
かなり遅くなってしまった。
今から迎えに行っても大丈夫だろうか?」

疲労の色が濃く含まれる声音に夏流は、一瞬、逢う事を戸惑った。

(今迄、仕事をしていたのに私のマンション迄迎えに来たら、豪さん、余計に負担がかかる。
今日、逢うのを控えた方が絶対にいい!
だけど…。)

なかなか返事をしない夏流に、豪は自分の身体の事を心配して逢う事を拒んでいると察した。
その優しさに、また豪の心が和む。

(逢いたい気持ちを抑える事等出来ない。
これほど、俺は夏流に心を奪われているんだな…)

心の中で苦笑を漏らしながら、素直な自分の感情を隠す事無く豪は夏流に伝えた。

「…逢いたいんだ。
だから、俺の身体の事を心配するのなら逢ってくれないか?
夏流を感じたいんだ…。」

切ない程、自分を求める豪の声に、夏流は戸惑いながらも承諾した。

30分後、マンションに車が止まった事を知った夏流は、部屋を出て、豪の車に乗った。

助手席に座ると、即座に豪から謝罪の言葉を述べられた。

「遅くなって本当にすまない!
食事はしたか?」

自分を心配する豪に夏流は、「軽く食べました…」と返事をした。

その言葉を聞いた豪から安堵の溜息が零れた…。

走行する間、無言が続いていた。

運転する豪の横顔を見つめながら、夏流は疲労の陰りを一切出さず、穏やかに微笑みながら自分に心を砕く豪に、
胸が締め付けられた。

(私との時間を作る為に、豪さんは何時もこんな時間迄仕事を…!
こんな無茶な生活を豪さんは毎日続けているの?

私の所為で…!

私って豪さんにとって本当に必要な存在なのかしら。
逆に、彼の負担になっている。
叔母夫婦の事だって、就職の時だって…。

それに…。

彼よりもかなり年下で、知性も教養も、そして家柄も、彼に釣り合うモノ等、何一つ持たない私が豪さんにとって、
本当に相応しいとは到底言いがたい。
そんな私の為に豪さんがここまでする必要があるのかしら…?
彼にはもっと相応しい女性がいる。

そう、彼の立場を尊重し、彼の事を誰よりも気遣う事が出来る大人の女性が…)

卑屈的な感情が心の中を満たし、打ち消す事が出来ない。

思わず感情に走りそうになる自分を抑え様と夏流はぎゅっと唇を噛み締め、俯いていた。

自分の肩をそっと豪が触れる。

顔を上げると、自分を見つめる豪の顔が目に映った。

「マンションに着いた。」と短くいい、豪が車から降りる様にと促す。

地下駐車場にあるエレベーターに乗り込み、最上階にマンションに辿り着く迄、互いに何も言わなかった。

カードキーを差し込まれマンションのドアが開き、豪の後に続き中に入ると直ぐさま、腕を取られ唇を奪われた。

一瞬、自分の身に何が起こったか理解出来なかった。

身体を強く抱きしめられ、何度も何度も角度を変えながらキスを繰り返す。

熱い吐息が唇から離れる度に豪から漏れる。

自分を求める豪の激しさに頭を振り、逃れようとするがそれを許さない豪が、夏流の後頭部に手を添えもっと深く唇をあわせる。
目に涙が潤み、強く豪の背広を握りしめる夏流の唇を解き、胸に抱き込みながら耳元で囁く。

「自分を責めていたのだろう?
俺がそんな風に夏流を追い込ませたんだな…。
済まない。
俺が今日急に逢いたいと言い出した所為で、夏流を追いつめて悩ましてしまった。
夏流が悪い訳ではない。

仕事が忙しいのは俺が夏流に会いたいから…。
だから、だ。

俺のワガママを、夏流が気に病む事も責める事も、何一つ考えなくていい。

労る夏流の気持ちも優しい心遣いも、俺にとっては何よりも嬉しい。
だが、夏流が自分を卑下する考え方は、俺は持って欲しく無い。

解ってくれるか?」

先程の激しい熱情が静まり、穏やかで優しい声で諭す様に囁かれる。

夏流の目から涙がぼろぼろと溢れ止まる事が出来ない。

そんな夏流に苦笑しながら、豪は何度も髪を梳き、夏流の感情が落ち着く迄、優しく抱きしめていた。



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