Act.16  蜜月 その3





葉山のログハウスから20分時間が経って、その場所に着いた。

それは一件の別荘であった。
美しい花々が咲き乱れ、湖の近くに立てられている…。
車から降りた夏流は回りの景色の美しさに嘆息を漏らした。
「綺麗…」と言葉を漏らす夏流に、豪は微笑み、中に入る事を促す。

「ここは?」と尋ねる夏流に、言葉をかけようとした豪の声を、遮る様に名前を呼ばれる。

「豪様、お待ちしていました。」と声をかける一人の婦人に豪は、穏やかな微笑みを浮かべた。
60代前半と思われるその女性は、豪と夏流に、にこやかに微笑みながら、迎え入れた。

「彼女は絹代さんと言って、俺の母方の祖母に仕えていた人だ。
祖母が亡くなった後、この別荘をずっと夫婦で管理してくれている。
ここは、亡くなった祖母が俺に残してくれた別荘なんだ。」

そう言う豪の瞳には懐かしさが滲んでいた。
多分、亡くなった祖母との思い出を懐かしんでいると思うと、夏流の心の中にも優しさがこみ上がった…。

中に入り、リビングに案内されると、テーブルには料理が運ばれていた。
椅子に座り、目の前の料理に感嘆を漏らしながら、料理を口に運ぶ。
「美味しい」と何度も感想を述べる夏流に、豪の笑みが深くなる。

食事を終えた夏流に豪は、この近くに湖があるから、散策に行かないか?と誘う。
豪の誘いに喜びながら頷いた。
別荘の回りを見ると、何種類ものオールドローズが咲き乱れ、甘い香りが競いあっている。

「祖母が好んで大切に育てていた。」と言うだけあって、豪の祖母がどれだけ愛情を注いでいたかが窺われる。

そして、豪の祖母の、豪に対する愛情の深さも…。

彼にこの別荘を受け継がせた事がどんな意味を含んでいるか、夏流には解る気がした。

湖迄行く間、豪と夏流はとりとめの無い会話をし、声を立てて笑い合っていた。

湖に近づくに連れ、風に水の湿りが含まれる。
着いた湖の、深く澄んだ水の美しさに、夏流は豪にこの場所に連れて来てくれた事に感謝の言葉を述べた。
それ程、その湖は美しい静けさを称えていた。
至福の時だ、と感じる夏流は、豪とともに夕暮れに色を落とす湖をずっと見つめていた。

身体を過る風の冷たさに思わず身体を震わした夏流の肩を抱き、別荘に帰る事を促す。

用意されていたお茶を飲みながら「そろそろ、帰ろうか。」と夏流と豪の会話に、絹代が
「宿泊の準備が整えられてますので、今日はこちらで過ごして下さい。」と2人に伝える。

絹代の言葉に豪は言葉を詰まらせ、夏流は顔を真っ赤にし、目を泳がせた。

「豪さん…」と声をかける夏流に少し、考えながら、「明日まで休みだったよね。」と言葉をかける。

「絹代さんの言う通り、今日はここで宿泊しよう。」と言う豪の瞳が何を語っているかを知った夏流は、少し困惑した視線を送った。
夏流の不安を感じ取った豪が、「別々の部屋で寝ればいい」と夏流の耳元で優しく囁く。

そんな2人の様子をどう感じ入ったか、「まあまあ、仲が宜しい事で」と、ころころと笑い出す。

「明日の朝、食事の準備に10時頃、伺います。」と言葉をかけて、絹代は帰って行った。

2人っきりになった事で豪を強く意識する夏流に、豪は微笑み、この先が浴室になっている、と声をかけた。
豪に案内された浴室に入ると、そこは10帖程の広さを誇っていた。
檜で作られている湯船、ブラインドを上げるとガラス張りになっている窓には、山々の美しい景色が一望出来る。
バカラガラスのキャンドルホルダーに灯が灯され、浴室に幻想的な光が広がる、

うっとりと、その光に魅入られながら、今日、ここで豪と過ごす事に夏流は身体中を赤く染めた。

(どうしよう…。
こんな事になるとは思っていなかった。
私、豪さんと…
やだ、そんな事、あり得ないわ。
私ったら、意識し過ぎ…)

ぷるぷると頭を振り、頬に手を添え、逆上せ上がる自分を叱咤する。

入浴を終え、軽く化粧水でパッティングをして髪を乾かし、準備されたコットンの部屋着に身を包み浴室から出ると、
リビングに置いてある淡いグレーのソファに腰掛けた豪と視線があった。

一階の浴室で既に入浴を終えた豪の髪の毛には、まだ、少し水を滴らせていた。

部屋着に身を包んだ豪を見て、どきり、と胸を高まらす。
覗かせる鎖骨から仄かな色香を漂わす豪に、夏流の思考はクラクラするばかりだ。

躊躇してなかなか自分の側に寄ろうとしない夏流に笑い、すと立ち上がり夏流の元に向う。

手を取り、「見せたいものがある」と言う豪に従い、夏流はある部屋へと向う。

案内された部屋に入った途端、夏流は言葉を失った。
そこには、ピアノと、数々ののトロフィーと賞状がサイドボードの上に飾られていた。

「豪さん…?」と声をかける夏流に、「ここは俺の夢の墓場だよ」をふうと息を吐き、苦笑を漏らしながら話した。

椅子に座り、蓋を上げピアノを弾き始める。

ポロン、と音を立てるピアノの音の美しさに、一瞬にして心が捕われる。

「こんな美しい月夜にはこの曲かな?」を微笑みながら、豪はドビュッシーの「月の光」を弾く。
滑らかに動く指が奏でる旋律は、哀しい程美しく、魅惑的であり、夏流の心に深く響き渡った。

弾き終えた豪に夏流は拍手を送り、もっと少し聴きたいと豪にせがむ。

夏流のリクエストに、「では、この曲もこんな月夜に相応しいかな?」を片目をつぶりながら、ショパンのノクターン「第2番」、「第5番」、
そしてワルツの第9番「告別」を続けて弾く。

美しい演奏を繰り広げる豪の表情が何時になく、楽しそうに見えるのは自分だけであろうか?と夏流は心の中で微笑んだ。

また、一つ彼の事を知る事が出来た…と演奏を聴きながら考えていると、豪がふと、自分に視線をよこすのを感じた。

真摯な瞳で訴えている豪に、夏流は今迄にない緊張を感じた。

弾き始めた豪の目に、あの熱い想いが満ちあふれている。

その曲は何処か、優しく軽やかで、そして甘い感傷に自分の心を絡み付かせる。

うっとりと聴き入っていた夏流に、曲を弾き終えた豪が、立ち上がり夏流の前に立った。

「今の曲が俺の気持ちだ…」と熱を含んだ瞳を称え夏流の耳元で囁く。

ぞくり、と背中に震えが走る。

夏流は豪に視線を落とし、声を詰まらせながら曲のタイトルを聞く。

耳に囁かれるタイトルに、夏流は頬を真っ赤に染める。

夏流の反応に目を細め微笑み、頬に手を添え、そっと唇を重ねる。

応える様に夏流の唇が開かれ、豪の舌が夏流のそれに深く絡み合う。

貪る様に求められる豪のキスに夏流は、自分の中に何かが蠢いている事を感じた…。

唇を離す豪の吐息が、夏流をまた、あの感覚に陥らせる。

「返事は…?」と促す豪に、目を伏せ豪の胸に身体を預けた。

夏流の答えに、艶やかな笑みを浮かべた豪が、夏流を抱き上げる。

そして2人は寝室へと向った…。


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