Act.12  始まろうとする想い その3





どくん、どくん…。

心臓の音が体中に駆け巡る。

今の私の顔は見なくても解る。

「坂下さん…」

私の声に呼応する様に、彼は私を抱きしめる力を強めた。
掠れる声が耳朶をくすぐる。
いつもよりも低く、そして艶を含んだ声に、私の心臓の音は高くなるばかり。

思わず、坂下さんのジャケットを掴む手に力が入った。

「…知ってどうする…?
知れば君を苦しめる事になる…。
そして、俺も…。」

呻く様に囁く坂下さんの声に、私はどう答えればいいのか解らなかった。

ただ…、彼の口調が余りにも苦しそうで…切なくて…。
どうしたら彼の苦しさを拭える事が出来るのか、ただ、それだけが知りたかった。

「坂下さん…」と言葉を紡いだ瞬間、すっと、彼からの抱擁が解かれた。

硬い表情、目にはあの深い想いは浮かんでいない。

そこにあるのは、私に対する拒絶だった。

(坂下さん…!)

「…付き合わせてごめん。
マンション迄送るよ。」

あの後、マンションに着く迄、私と坂下さんとは一言も喋らなかった。

硬い表情で、ただただ先を見つめるだけ。

彼の表情を見つめて、私は心の中に言い様も無い哀しみが溢れていた…。

マンションに着き、車から降りる時、私はもう一度坂下さんの顔を見つめた。
私の視線に、微笑を浮かべ、挨拶をしてくれる。
でも、それが社交辞令だとは直ぐに思った。

目には、あの優しくて穏やかで、そして熱の籠った、あの深い感情が既になかったから…。

もう、あの瞳で見つめられる事が無いんだ…。

そう思った途端、堰を切った様に涙がぼろぼろと、溢れてきた。

何故、涙が出るんだろう…?

どうしてこんなに哀しいだろう…?

止める事が出来ない涙を拭いながら車から降りようとした瞬間、腕を掴まれ、坂下さんに抱きしめられた。
驚く私に、翳める様に言葉を紡ぐ。

「どうして泣く?
君の心には、未だに忍がいる。
なのに何故、俺にそんな「顔」を見せる?」

一瞬、彼が何を言ってるのか、解らなかった。

「ずっと、諦めようとした…。
3年前、君の心には忍がいたから。
君が忍の為に生きようとした、あの言葉を聞いた時から、俺は…!」

「坂下さん…?」

「君が忍と別れても、君の心に未だに存在する忍に嫉妬した。
俺は君の心を掴む事が出来ない。
君を幸せにするのは、忍だと思ったから、俺は…!」

「…」

溢れる涙を指先で、彼は何度も何度も拭った。

それでも収まらない涙を彼は頬に手を添え、唇で拭いだした。
翳める唇が熱くて、頬に羞恥が走る。

「もう、止まったからやめて欲しい」と彼に伝えようとする唇を、そっと彼に塞がれた。

啄む様に、何度も何度も繰り返されるキス。
一気に頬が上気して、彼の顔を見つめる事が出来ない。

キスされる事に、「何故…?」と呟くと、彼がくすり、と笑った。

「俺を見たら解るから」と言う言葉に、硬く瞑った目をそっと開けると、そこには私が望んでいたあの深い瞳があった。

優しくて、穏やかな中に隠された、熱情。

そう、あれは人を請う目。

愛する者を欲する…。

彼はあの深い瞳でずっと、私に訴えていた。

「愛している。」、と…。

解った途端、想いが一気に溢れ、私の感情を満たしていた。

そう、私も彼の事を…。

「夏流」と、熱い言葉が、耳朶を翳める。

その言葉に反応する様に、私は彼の背に腕を回した。

気付いた彼が、一瞬、私に深い笑みで微笑んで、そして…。

「愛している」と私に囁き、もう一度、私の唇を奪った…。

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