Act.13 恋の自覚 その3





「…ありがとう。

落ち着いたから、もう、離してくれないか。」

忍の言葉に春菜は自分が忍を強く抱きしめているのを初めて知った。

知った途端、直ぐに離れ顔を赤らめる。

春菜の様子に忍は優しく微笑んだ。

忍の初めてみる微笑みに、春菜はもっと顔を赤らめる。

そんな春菜を目を細め見つめながら、忍は言葉をかけた。

「…俺の情報はある程度、掴めただろう?

今日で俺たちの関係、終わりにしよう…。」

忍の言葉に、一瞬、言葉をどう紡げばいいか解らない程、春菜は動揺した。

目を見開き忍を見つめ返す。

自分に注がれる春菜の視線を逸らす事無く、忍は更に言葉を続けた。

「これ以上俺と付き合うと、君がもっと傷つく様になる。

俺に恋愛感情を求められても、その要求に応える事が出来ない。

君もそんな俺と付き合うのは辛いだろう。

だから…」

忍が言葉をいい終えないうちに春菜はかぶりをを振り、そして身体を翻しその場を走り去った。

涙が止めど無く溢れ頬を伝う。

心の中で感情が爆発し、抑える事が出来ない。

(嫌だ!

嫌、いや!

そんな、どうして急に言うの…!

どうして…!)

心の中に沸き上がる感情が理性を失わせる。

(坂下君の事を本当に諦めないといけないの?

ねえ、私は坂下君を好きなってはいけないの?

好きなのに…!

こんなにも好きなのに、なのに彼の心の中に私が住み着く事は絶対に無い!

だけど、いや!

解っている。

こんな身勝手な考えを持っては行けない事くらい解っている。

でも、でも、でも!)

だんだんと歩調が緩やかになりとぽとぽ歩き始めた春菜は、涙を拭いながら心の中で叫んだ。

(坂下君が好きなんだもの…。

どうしようもなく好きなんだもの。

こんな気持ち、初めてだ。

今迄、好きになっても相手の感情が伺えて解ると直ぐに醒めて。

でも、坂下君に感じる気持ちは違う。

今迄とは違うの…)

自分に放った忍の言葉が心の中に何度も木霊して、春菜は嗚咽を抑える事を出来なかった…。

自分の部屋に戻った春菜はベットに突っ伏せ、ぼんやりと今の自分の感情に向き合っていた。

瞳には涙が滲み、何度も何度も頬を翳めている。

春菜は先程の忍の自分に向ける笑顔と柔らかい言葉を思いだしていた。

初めてだった。

自分に素直に感情を出した忍を見たのは。

そして自分を思い別れを告げた忍の優しさが、また引き金となり春菜の目に涙を浮かばせる。

時計の針の音がしいん、とした部屋に響き渡る。

一通り涙を流し切った春菜はチェストに置いてある時計の針を見て、自分が夕食も食べずにずっと部屋に籠っていた事を知った。

ふと、とんとんと、ドアを叩く音が聴こえる。

はい、と返事をすると侑一がトレイにサンドウィッチとフルーツの盛り合わせ、そして紅茶を入れたポットを持ち、
部屋の中へ入って来た。

腕には春菜が学校に持って行っている鞄がぶら下がっていた。

「どうして、パパが鞄を?」と尋ねると、少し困った風に微笑みながら、侑一は先程忍がここに来て届けた事を告げた。

真季子が忍から鞄を預かった事を聞いた春菜は、今迄流していた涙を一気に引っ込めた。

「ま、真季子さんの様子はどうだったの…?」と恐る恐る窺う春菜の様子に苦笑を漏らしながら、
とても喜んでいた事を告げた。

今日の出来事で、「六家の掟」で忍に会う事を憚られていた真季子にとって、忍の訪問は僥倖としか言えない。

多分、涙を溢れさせながら忍の事を見つめていたに違いないと思うと、今日の自分の悲しい出来事も真季子を喜ばす要因になって
良かったと、そう心の中で思った。

そんな風に思う事でしか今、自分の中にある感情を逸らす事が出来なかったから…。

坂下君…、と心の中で忍の名前を反芻する自分に春菜は自虐的な笑みを浮かべた。

(諦めないといけないのに…。

なのにどうしても出来ない。

どうしたらいいの?)

テーブルにトレイを起き、ティーカップに紅茶を注ぎ込む侑一の、春菜に向ける視線は何処迄も優しかった。

何も触れない侑一の優しさを感じつつも春菜はあくまでも無言を押し通し、ベットの上で膝を抱え込みながら俯く。

ふと、侑一が春菜に話しかけた。

その言葉を聞いた途端、春菜は自分の耳を疑った。

侑一は真摯な口調でこう言った。

「忍君の事を好きなら、心を奪えばいいと」、と…。





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