始まりの詩 その3




(この人が豪さんと…)

落ちた洋服を拾おうとして指先に力を入れたくても震えて拾う事が出来ない。
動揺する私に微笑みながら、かの女性が落ちた洋服を拾う。

「こちらで休まれた方が宜しいのでは?」と言いつつも小声で私だけに聞こえる様にはっきりとこういった。

「動揺するのも宜しいけど、余り露骨に顔に出されるのもどうかしら?
貴女、豪さんとそれなりの付き合いをされているのならお判りでしょう。

男が女とただ付き合う事なんて無いのよ。
私と親密に会話をする事が何があったか、察する事を憶えなさい。
そしてその時、どんな風に対応するかをも…。

貴女を見ていると男女間の事にとても初な様子に感じるけど、それも時にはどうなのかしら?
ふふふ、貴女、豪さんを満足させる事が出来ているの?

私と豪さんがお付き合いしていたときは、それはもう…」

余りに聞くに耐えられない言葉の羅列に私は耳を塞ぎたくなった。
つい、感情に走って言葉が出る。

「やめて下さい!」

「いいえ、やめないわ」

「…どうして」

辛うじて出る私の言葉に、彼女が真剣な趣で私を見つめた。

「だって、私は今でも豪さんを愛しているから…」

そう伝える彼女の瞳の強さに私は一瞬、たじろいでしまった…。

「そこにおかけなさい」

「…」

「豪さんが貴女に夢中なのはずっと知っていたわ。
それが原因で、3年前、私達は別れたのだから…。

ふふふ、まあ、私達の関係は世間で言う恋人と言う間柄ではなかった。

愛人でもない。

そう、なんて言えばいいのかしら?

豪さんの男としてのどうしようもない衝動を私が受け止めていた、と申し上げた方がいいのかしら?」

「っ…」

「以前、私は銀座のクラブで働いていたの。
そこで6年前、豪さんと出会い関係を持ったわ。

豪さんはとても魅力溢れる男性でありながら、とても紳士的で優しかった。
直ぐに恋に落ちたわ。

彼に想いを告白して受け入れて欲しいと願った。

彼は躊躇いつつも、最後には私との関係を持ったくれたわ。

ねえ、豪さんは貴女をとても満足させているのではないかしら?
彼、女を悦ばす事に殊の外、長けていたから。」

くつくつと笑いながら、赤裸々に問われる言葉に私は顔を真っ赤にさせ身体を震わせた。
私の反応を見て冷ややかな視線で言葉を続ける。

「それくらいの事でなんて反応なの?
本当にまるで子供ね、貴女…。
豪さんに愛されるのが当たり前と言う考えを、全身に表して。
馬鹿な態度を取って余り豪さんを困らす事は控えなさい。

豪さんが貴女と付き合うという事自体、あり得ない事なのよ。

想われている事がどれほどの意味合いを含めているか、貴女は本当にご存知なの?

そう思っているのは私だけではない。
数多に豪さんに想いを寄せている女性が、貴女の存在を知ったらどう思うかしら。

豪さんが不憫でしか思えない。
そう、皆が口を揃えて言うでしょう。
私も事実、そう思うから。」

散々な言葉に涙しか出ない。

悔しいけど、それが現実だという事も解っている。

子供で、女としても魅力も無い、凡庸な自分が豪さんに愛される事自体、現実味が無くて。

どうして私を抱いたの…?

どうして私に愛を告げたの…?

どうして…?

疑問だけが心の中に深く突き刺さって、何時も答え等でない。

「強く言っているとは思うけど…、貴女には謝罪なんてしないわ。
さああ、これが貴女にとてもよくお似合いだわ。

初で…、何も解らない貴女にはこの純白のワンピースが…。」

宛てがわれたワンピースはふわりとした素材でデザインがシンプルでありながら、胸からの切り替えが美して、そして裾に施された同じ糸の刺繍が上品で…。

汚れもない真っ白な様に、何故か心が抉られた。

何も解らない愚かな自分を責めている様で…。

「豪さんが待っているわ。
その涙は隠しなさい。
貴女、この店に入って来た時もそんな顔をしていた。
感情をすぐ表していては駄目よ。

何を言われても貴女は、責める事が出来ない。

貴女は、私から豪さんを奪ったのだから…」

何も聞こえなかった。
理不尽な言葉だと心の中で思っていても、それが事実だから仕方が無いとそう思えてならない。

この人にとって、私は豪さんを奪った憎い女としか思えないだろう。
実際、私達が出会わなかったら、2人はまだ付き合っていて…。

そして豪さんと今も関係を持っていた…。

豪さんのあの、情熱的な愛撫を全身に…。

そう思った途端、体中の熱が一気に冷める感覚に陥った。

(今も豪さんはこの人を抱いていた…。
愛を囁いていた…。
私を見つめるあの熱の籠った瞳が彼女に注がれていた…。
そんな事…!)

そう思いながら、私は豪さんが待っている場所迄歩行を進める。

「気に入った服が見つかって良かった…」と優しく声をかける豪さんに、私はこの場から逃げたかった。

優しくしないで…。

豪さんの優しさが時にどれだけ残酷なのか、今になって思い知る。

そしてどうしてこの場所に私を連れて来たの?

彼女との関係を思い知らせるため?

ねえ、どうして…!

どうしてなの…!

「先に外にでていいですか、豪さん」

この場所から出たかった。
あの人と豪さんの親密な空気に触れたく無かった。

「…ああ。
会計を済ませたらすぐに出る。」

そう私に豪さんの瞳が真摯な光を帯びていた…。

「君には酷な事をお願いした、佐和子…」

豪の言葉に佐和子はくつり、と笑った。

「うふふふ、最初、彼女をこの店に連れて来ると言う豪さんのお言葉を聞いて流石に驚きました。

豪さん…。

彼女の事を本当に愛しているのですね。」

「…ああ。」

「でも、豪さんのお気持ちを彼女が何処迄ご存知なのか、今日の様子を見て笑ってしまいましたわ。
彼女は無垢で汚れが無くて、そして愛を知らない。
豪さんの想いの深さを彼女は何も知っていない。
時に人を愛する事が綺麗ごとだけではなく、理性を狂わせドロドロとした感情を含めている事も。」

「…済まない」

「いいえ。
貴方が彼女を連れて来た意図を知ったので、私は私の気持ちを正直に申し上げただけ。

今も、貴方の事を愛している。
この気持ちに偽りはない。

そして彼女に嫉妬と憎しみを感じている事も。」

「…」

「でも、それも私の感情の一部であって全てではない。
その感情も含めてもなお、貴方には幸せになって欲しいと思う気持ちも、また真実。

豪さん。
貴方がとても憎いと思う。

でも、愛おしくて誰よりも幸せになって欲しいと言う想いも、また私の気持ちです。」

「有り難う。」

「彼女に貴方の真実が伝わる事を願います。」

「…」

微笑んで出て行く豪に、佐和子は胸の中の痛みが引いて行く事に心の中で笑った。

実際、彼女を見て憎しみを、嫉妬を抱いた事は事実だった。

だがそれ以上に、豪の、あの幸せそうな顔を見つめる事が出来た事が喜ばしかった事と同時に、自分にはその顔をさせる事が最後迄出来なかった事を悔やんだ…。

心を掴む事なんて私には始めから出来なかった。

だから豪さんの心を奪った彼女が憎かった。

そしてその事を知ってもなお、彼女に自分たちの関係を思い知らし、自分に対しての幻想を打ち砕かせ、彼女の心を深く揺さぶろうとする
激しい迄の豪の恋情が憎かった…。

「さようなら豪さん…」

もう会う事は無いだろう…。

それをはっきりさせる為に豪が自分の所に夏流を連れて来た事も解っていた。

自分を愛する事に決着をつけて欲しい。

それをも含んだ豪の訪問。

最後迄優しくて、そして最後迄、豪は残酷だった…。





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