始まりの詩 その2 先程から下肢に伝わる感触に夏流はまた涙を溢れさせた。 豪に愛撫され快楽に身を焦がした「証」 その感触に深く恥じ入りながらも、自分を欲した豪の熱情に恐怖を感じていた。 初めて自分を抱いた時に、感じた豪の熱情はもっと優しかった…。 優しく抱きしめ初めて繋がった時、心の中に喜びが溢れていた。 強く愛されている。 深く愛されている。 そう思い、身も心も全て豪に委ねた。 なのに今、ある感情は…。 「夏流…」と静かに呼ばれる豪の声にぴくりと反応する。 自分を欲していた雄の顔が豪の中から消え去っている事を知り、安堵する。 だが、一旦、心の中に沸き上がった恐怖を取り除く事が出来ない。 触れようとする豪の手を夏流は遮った。 手を彷徨わす豪が苦笑を漏らす。 無言を押し通す夏流に豪は車を走行させ、自身のマンションに向った。 着いた場所に夏流は表情を引き攣らせた。 今から、また抱かれるのだろうか…? 不安を隠さない夏流の表情を見ながら豪は、自分が取った行動は余りにも性急過ぎたと心の中で深く感じ入っていた。 だが、自分の行動に謝ろうとは思っていなかった。 夏流を悲しませながら、何を矛盾な事をと思いながらも、欲しいと言う感情がどういうモノか、夏流に知って欲しいと言うのも豪の心情だった。 綺麗な感情で夏流を抱いているのではない。 愛が時にどれだけの激情を生むか、夏流はまだ知らない…。 そんな夏流に豪は教えたかった。 自分がどれだけ夏流を愛しているか…。 柔らかく包むだけが愛ではない。 時に感情に身を任せ、全てを奪いたいと思うのも、また愛だと…。 だから忍が夏流に行った行為を豪は戒める事は出来なかった。 それもまた、一つの愛のカタチだから。 「身体を清めたいだろう…。 だから、俺のマンションに連れて来た。 バスルームでシャワーを浴びたら、門倉の別荘に行こう。 その前に、少し町並みを歩いて軽く食事を取ろう…」 何時もの様に優しい響きで言葉をかけてくれる。 豪が自分の事を何時も考え行動をとっている事も解っている。 素直にその言葉に従いながらも、心の中は豪に対しての恐怖で覆われていた…。 熱いシャワーが夏流の心の不安を少しずつ鎮めていく。 シャワーを終えバスルームから出ようとした瞬間、鏡に映った自分の胸元を見て、夏流は身体を震えさせた。 車の中で豪に愛撫された様が所々に残っている…。 先程の豪の表情が夏流の視界を奪い、また涙があふれた。 (豪さんの事が好きなのに、でも、怖い…。 どうしたらいいの?) 嗚咽を零し、身体をしゃがませ夏流は思いの限り涙を流した…。 一通り涙を流した夏流は軽く顔を洗おうと洗面所を見た。 そこには夏流が使っている基礎化粧品が揃われていた。 何時、これを?と思いつつ、豪の優しさが夏流の心を深く抉る。 あの行為が無かったら豪の心使いにまた、心をときめかしたであろう…。 でも、今は…。 (駄目よ、夏流。 暗い考えに捕われたら駄目…! 今から、豪さんとまた、一緒に過ごすんだから。 でも、あの時の様に今日の夜も求められる…。 ううん、そうではない。 あんな風にはならない。 大丈夫だから、だから早く豪さんの側にいかないと。) 着替えを済ませ、髪を乾かし薄く化粧を整えた夏流は豪の元へと向った…。 リビングに入って来た夏流を見つめた途端、豪は一瞬、言葉が出なかった。 真っ赤に目を染めて今にも泣きそうな夏流の痛々しい表情に流石にどう接すればいいのか豪は途方にくれた。 豪の視線を感じたのか目を逸らす夏流に、深く息を吐き言葉をかけた。 「もう、出ても大丈夫か…?」 躊躇いながら言葉をかける豪に、夏流は無言のまま頷く。 駐車場に先に降りておく事を夏流に伝え、豪は携帯を手に取り、ある場所に連絡をした。 走行する車の中でも互いが無言のまま、時を過ごす。 俯く夏流をちらりと見つめながら、車を停車した。 急に車が止まった事に驚く夏流に、降りる様、促す。 「少し歩こう…」と言う豪の優しい声音に、夏流は辛うじて、はい、と返事した。 先程から、何人かの女性が豪に熱っぽい視線を送っている。 そしてその都度自分を見つめ、小声であからさまに嫌みを言う。 「なんであんな地味な娘が…。」 「相手の男性、とっても魅力的なのに彼女って全然釣り合わない…」 くすくす笑いながら横切る女性に、居たたまれない気持ちを抱きながら夏流は側にいる豪を見つめていた。 すっと鼻梁が通った彫りの深い顔立ち。 モデルの様に背が高くて、男性的な魅力が溢れていてそして思いやりがあり優しくて、坂下財閥の後継者で…。 何故、自分に気持ちを伝えたのか、信じられない程、生きる世界がまるで違う人。 本当は側にいるのも烏滸がましいのかもしれない…。 (先程の行為だって、本当は女性なら喜ばしい事なのかも知れない。 あんなに情熱的に求められる事は…。 だけど私は…) 考えに捕われていると、豪さんがすと、肩に触れる。 「ここに入ろう」と言う言葉に着いた場所を見ると、ブティックだった。 豪さんに連れられて中に入った途端、目に映る洋服のデザインの美しさに目を奪われていた。 (そういえば、ここ、以前ファッション雑誌で特集されていた。 今の女性のファッションの先端を担っているって。 金額を見て私の生活ではとても手が出ない代物だと、溜息をつきながら見つめていたけど、でも、どうして豪さんがここに私を連れて来たのかしら…?) きょろきょろと見つめている私に深い笑みを浮かべた豪さんが、私にこういった。 「気に入った洋服があったら遠慮なく言いなさい…」 急に言われる言葉に、一瞬、どう答えたらいいのか解らなかった。 そんな私をどう思ったのか、豪さんが更に言葉を続けた。 「…明日、着る予定の服に着替えたろう? だからここで一式揃えて、門倉に行こう…」 「…でも、それは…」 「俺が夏流にプレゼントしたい。 駄目か…?」 「…」 豪さんの気持ちを嬉しく思いながらも、プレゼントをしてもらうには余りにも高額過ぎると思い、辞退しようと言葉を紡ごうとした時、 豪さんに声をかける女性の声に言葉を奪われた。 「豪さん、お久しぶりです。 先日の洋服は気に入って戴けたかしら?」 洗練された大人の女性が私の側を横切り、豪さんの元に向う。 一瞬、薫るフレグランスの甘い香りにどきりと心が跳ね上がる。 (き、綺麗な女性…。 上品で物腰が洗練されていて、そして声も透き通る位に綺麗。) こんな女性が豪さんにはとてもお似合いだ…、とずきり、と痛む胸に触れながら、夏流は2人の会話を静観していた。 「ああ、お陰で助かったよ。 有り難う…」 砕けた言葉で話しかける豪さんに、また心が痛む。 「それは良かった。 うふふ、側にいる可愛らしい方が、あのワンピースの持ち主かしら」 少し茶目っ気を含めた彼女の言葉に、豪さんが苦笑を漏らす。 2人の余りの親密な関係に、どう、反応すればいいのか途方にくれる私に、彼女がこう言った。 「豪さんは以前、私が勤めていたお店のお客様でしたの」 そう言う彼女の表情が、艶やかに見えたのは私の気のせいだったのだろうか…? 「彼女に何か、似合う服を見繕ってくれないか? 一式、揃えたい」 「ご、豪さん、それは…!」 「畏まりました。 ご案内しますので、ご一緒に」 反発する私の言葉を遮り、彼女に腕を取られながらお店の中を案内された…。 三階迄あるフロアを上階から案内されて、数々の洋服を宛てがわれる。 ちらりとみる金額の余りの高額さに、目を見張った。 (こ、こんなの頂けない…) 躊躇いながら宛てがわれる洋服を見つめる私に、彼女が深く微笑みながら、こういった。 「豪さんのお気持ちを無下にされては駄目ですよ。 あの方は、貴女の事をとても大切に想われている…。 本当に憎らしい程…!」 最後に言われた言葉に一瞬、声が出ない。 「私と豪さんの関係で、一言、貴女にお伝えしていなかったわね。 私は以前、豪さんとお付き合いさせて頂いていたの」 (え、今、なんて…?) 呆然とする私を見つめながら、彼女は可笑しそうに嗤った。 「聞こえなかったらかしら? 私は豪さんと肉体関係を持っていた女と申し上げたのよ。」 衝撃的な彼女の言葉に、私は手に持っていた洋服を落としてしまった。 からんと、ハンガーが落ちた音が耳に木霊する。 (ご、豪さんと、この人が…) 青ざめる私の表情を見つめる彼女の瞳はぞっとする程、冷たい光を放っていた…。 |