Act.36  再会 その8




自分に向ける憎しみの感情、眼差し。

ああ、俺はこの瞳を知っている…。
十年前、転落事故から目覚めた忍から注がれた感情。
今の忍の感情はまさにあの時の感情と一緒だ。

両親の無惨な死に様を目の前で見つめる事しか出来ず、息絶える様を享受するしか無かった忍の…。
何日間も生死を彷徨いやっと目覚めた時、自分の於かれている状況を知った忍が半狂乱となって何度も自殺を繰り返した様を俺は
悲痛な思いで見つめていた。

もうあの感情に捕われた忍を見つめたくないと何度も思っていた。
そう、夏流に出会う迄俺にとって忍は誰よりも大切だった。

確かに同情もあった。

忍の壮絶な体験を思うと自分の感情が塵芥の如く思えてならなかった。
だから俺はあの時、全てを諦めた。

後継者の座を退き、「坂下」の名から離れ「門倉豪」として人生を歩む事を…。

「忍…」

触れようとする俺の手を退け憎悪の眼差しで俺を射抜く。

「俺に触るな!」

「…」

「どんな手を使ってでも俺は夏流を奪い返す。
そしてあんたに俺と同じ痛みをじっくりと味会わせてやる…。

夏流は俺のものだ…。
あんたが手にすべき相手ではない!」

「忍」

「もうあんたとは赤の他人だ。
馴れ馴れしく俺の名を呼ぶな。
反吐が出る…」

「…」

全身に拒絶を見せる忍の姿に豪は何も言う事が出来なかった。
覚悟していた事だ。
今更自分が行った行動が忍に許されるとは最初から思って等いない。

そう、解っていた…。

「あんたとも会う事も無いだろう…。
いや、あるとしたら俺が夏流と結婚をする時か。」

「忍…!」

「その時はあんたを呼んであげるさ。
そしてただじっと見ていればいいんだ、あんたは。
俺と夏流が幸せになる様を逐一見ていればいい…!

ふふふふ。

あははははははは…」

忍の自虐的な嗤い声が部屋中に響き渡る。
痛々しい忍の姿に豪は顔を歪ませる事しか出来ない。

「社長、もうそろそろ出発の時間になっています。」

ドアをノックし会話を終える事を促す楠木の声に忍が冷ややかな視線で扉を見つめる。

入って来るなり豪の姿を見た楠木が悲鳴を上げる。
頬が腫れ唇から血を流す豪を見た楠木が医務室に内線を入れすぐ社長室に来る事を伝える。
楠木の取り乱す声に豪が静かに制する。

「大した事ではないから、そう取り乱すのは止めてくれないか、楠木君」

「しゃ、社長」

「医務室には自分が出向く。
余り騒ぎ立てないでくれ…」

「…」

「忍、済まない。俺はこれから社用の為に出なければいけない。
今日、坂下家に帰るんだろう?
俺も母さんから坂下家に帰る様に言われている。
そこでじっくり話し合おう。
これからの事を…」

何時もの様に穏やかに話しかける豪に忍は無言のまま社長室を後にした。
忍の目に微かに涙が滲む。

社外に出た忍は携帯をジャケットから取り出し、直ぐさま透流に連絡を入れた。
何コール目に出た透流の声に気が緩み忍は嗚咽を零しながら会いたい事を訴える。

「俺…、自分の感情を抑えられなかった。
解っていた事だった。
兄貴が真剣に夏流を愛している事も、解っていた。

解っていながら、俺は…。

俺は…。

やっぱり駄目だ。
夏流が誰かのモノになるなんて許せる事が出来ないんだ…。
それが喩え兄貴でも…。

俺の為に、夢を、自分の存在を捨てた兄貴でも俺は…。
夏流を渡す事が出来ない…!」

そう言い終えて忍が会話を切る。

ふと自分の感情の全てを受け止めた豪の静かな瞳が瞼に浮かんだ…。
慈愛を含んだ優しい眼差しを忍は振り切る様にかぶりを振る。

10年前、自分の為に「坂下豪」として生きる事を選んだ、豪…。
坂下の後継者を退き「坂下」の名を捨て「門倉豪」として生きようと思っていた事を忍は知っていた。

あの時の転落事故が忍の、そして豪の人生を狂わせた…。

「あんたは馬鹿だよ、兄貴…
本当に馬鹿だ…」

そう呟きながら涙を流す。

(もう元には戻れない…。
俺も、そして兄貴も自分の道を歩き出した。)

「夏流が共に歩む相手は俺だ…!
そう、俺なんだ…」

別れの時見せた夏流の柔らかい笑みを思い出す。
自分たちの人生がまた重なる時、想いを伝えようと心に誓った…。

「夏流。
君を愛している…

この想いが君に辿る事を俺は信じている。

そう、信じている…」







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