Act.13  バースデイ



「ねえ、お母さん。

今日がお母さんの誕生日だって事、知っていた?」

柔らかい光が差し込む病室に、夏流は母親が好きだった赤い薔薇を生けた花瓶を、サイドテーブルに置いた。

ベットの側に椅子を置きそこに座りながら、夏流は母に語りかけた。

「お母さんが好きだった深紅の薔薇を買って来たの。

綺麗でしょう?

それにいい薫りと思わない?

今日でお母さんは何歳になったかは言わないね。

だって女性に年齢を言うのって、ね。」

くすくす笑いながらも、何時の間にか、目に涙が溢れさせ夏流は喋っていた。

「ねえ、お母さん…。

私ね。

とても好きな人にプロポーズをされたの。

その人に私の事が誰よりも大切だと言われ、そして愛してると告白されたの。

泣きたい程嬉しい言葉なのに、なのに、私、戸惑ったの。

だって、私にはお母さんがいるもの。

彼を受け入れ共に歩む事は、お母さんの側から離れるという事だから…。

私、怖い…!

正直、怖いの。

彼に心が傾きかけて、そしてお母さんよりも彼が大切な存在になりつつある、この心の変化が私、怖いの!

彼を愛してる自分が許せないの…。

嫌なのよ!

今迄の私を、私が忘れるなんて…。

忘れたく無い…!

お母さんと言う存在が、誰よりも大切だと想う気持ちが、薄れるのが許せないの…。

ねえ、お母さん…。

何故、こんな風になったの?

何故、私を残してこんな姿になったの?

一年、一年、月日が経つ連れて、私が確実に貴女が眠りについた年齢に近づく度に、私は心の中で貴女に言葉をかけている。

ねえ、貴女は今の私の年齢の時、何をしていた?

私は貴女と同じモノの捉え方をしてるかしら?

同じ趣味を持っていた?

好きな食べ物も同じだったかしら、と。

ねえ、喋ってよ!

何か私に語りかけてよ…。

お母さん…!

何故、何も言ってくれないの?

どうして…」

椅子から立ち上がり、眠る母親にすがりつき、嗚咽を零しながら頬に触れる。

触れる手に熱が伝わる。

生きているのに…。

なのに虚ろに開かれる目には、光を宿す事は永遠に来ない。

その現実を知っていてもなお、私は目覚める事を夢見る。

何度、諦める事を促されたか解らない。

何度、自分の人生を大切に思えと言われたか解らない。

だけど誰がこの心の中を解ろうとした…?

ふふふ、バカな事を考える。

この心を覆う哀しみを解って欲しいと思う事自体、愚かな事なのに。

だって誰も私にはなり得ない事に、何故、人にそれを望むの?

「ごめんね…。

誕生日なのに、楽しい話を出来ない私を許して…!」

母親の頬にぽつりと夏流の涙が翳めていた…。

母親の病室を後にし廊下に出ると、待合室の長椅子に忍が座っていた。

驚き踵を返そうとする夏流の腕を立ち上がり掴み、頬に手を添え顔を覗き込む。

「泣いていたのか…?」心配する声が余りにも優しくて、夏流は涙が出そうになる自分を律した。

手を振りほどき、俯きながら「泣いてない」と短く答える。

夏流の様子に軽く息を吐く。

そして夏流の肩を抱き寄せ、一緒に帰る事を促しながら、2人は病院を後にした。

忍は夏流をそのまま自分のマンションへ連れて帰った。

「どうして…?」と心許ない夏流の身体を抱き寄せ、耳元に囁く。

言われた言葉に夏流は目を見開き、忍の腕を振りほどこうとしたが、強い力で更に抱きしめられる。

「泣きたい時には泣けよ!

どうして俺の前で我慢する。」

忍の言葉にかぶりをふり、離す様に何度も叫ぶ。

「離して…!

私の事なんか放っておいて!」

夏流の言葉に強く言葉を投げた。

「嫌だね。

誰が離すものか!

言っただろう?

夏流を一人にさせないって。

一人で哀しむ姿を見たく無いって!」

「それは私が願った事では無いでしょう?

忍さんが勝手に決めて思っている事じゃないの!

私が本当に望んでいると思うの?」

「ああ、そうだよ。

夏流は誰よりも望んでいるよ。

夏流は俺に心の内を解って欲しいと叫んでいる。

俺に悲しいと心の中で訴えている。

だって、夏流は俺の事を誰よりも、愛しているからな…!」

忍の言葉に朱がさし思わずかっとなる。

「な、自惚れないで!

どうしてそんな事を言い切れるのよ!」

夏流の言葉に淡く微笑む。

「夏流を愛しているから。

誰よりも大切な女の事を解らないバカがいるか…?

そんなに母親よりも俺が大切な存在になるのが怖いか?

俺と共に歩む人生がそんなに嫌か?」

「…」

「夏流…。

俺の事を愛してるんだろう…?

そうだろう?」

言葉をかみしめる様に伝える忍に、夏流は涙を溢れさせながら言葉を返す。

「…踏み込まないでよ…。

私からお母さんの存在を消さないでよ。

忘れたく無い…!

忘れたく無いのに、何故、心が貴方を求めるの…?

どうして、私に貴方を愛させるの?

どうして、貴方が誰よりも大切なんだと心が訴えるの?

どうして…!」

泣き叫ぶ夏流の言葉を、忍の唇が強引に奪った。

キスの合間に囁かれる夏流の言葉を聞き、忍は更にキスを深め、夏流を強く抱きしめた。


「貴方を愛してる、忍…」





web拍手 by FC2





inserted by FC2 system