噂の彼女 その4(R15)


「今年もまた、やってきたか…」

目覚めた忍は発した言葉がそれだった。

側で眠っていた夏流がぴくりと目を覚まし、忍を見つめる。

焦燥感漂わせている忍の様子が心配になった夏流は、忍のパジャマの裾を引き、忍の様子を窺った。

躊躇いながら声をかける夏流に苦笑を漏らしながらも忍は言葉を紡いだ。

「今日が何の日か、知ってるよな」

忍の言葉にこくりと頷く。

「今年は夏流がいるから断りを前もって入れておいた。

だけど、多分、頂くと思う。」

忍の神妙な言葉に夏流はぷっと吹き出した。

「どうして笑う?」

突如の夏流の笑みに不機嫌になった忍は、そっぽを向きながらも言葉を続けた。

「…なあ、夏流。

夏流は俺がモテる事に本当に嫉妬を持った事が無いのか?」

忍の言葉に夏流は爆笑し、声をたてて笑い出した。

「忍がモテる事にいちいち嫉妬してどうするの?

毎回言うけど、今更の事でしょう、もう!」

笑いを含んだ夏流の言葉に更に不機嫌になった忍は顔を真っ赤にして、起き上がった。

「…解ったよ。

毎年、段ボール箱4箱以上のチョコレートを貰って帰るけど、今年は更に持ち帰ると思ってくれ。」

忍の子供っぽい言い方に夏流は涙を浮かべながら笑い始めた。

けたけたと笑う夏流の姿を横目で見ながら忍はバスルームへと向った。

一人残された夏流はぴたりと笑いをおさめ、そしてぽつりと囁いた。

「今更、忍がモテる事に嫉妬してどうにかなるの?

それで忍がモテる事がおさめる事が出来るのなら、いくらでもするわよ!

だけど、どうにもならないじゃないの。

本当に、考えてもどうにもならない事をどうして忍は毎回、私に言うの…?」

それが忍が夏流に心を開いているからと言うのを気付かない夏流自身もまた、かなり鈍感だというのを、
本人は気付いてなかった…。



「ねえ、今日の成月先生…。

凄く機嫌が悪く無い?」

「あ、貴女も感じていた?

最近、先生の表情がかなり緩んでいたのに、今日の先生ったら…。

まるでマネキンみたい。

本当に無表情。

美形が感情を無くすと、ああも綺麗とは知らなかった…!」

「絶対に、彼女と喧嘩したのよ!

でも、仕事にそれが反映されるなんて…。

先生もただの人だったのね。

なんか親近感、持てていいわ…」

「そうね。

それはそうと、今日、幾つ貰うと思う?」

「バレンタインのチョコの事?」

「ご名答。

私は今年は段ボール5箱以上と踏んだ。」

「あら、私は6箱は軽くいくかと。

何だって、先生に彼女が出来た途端、更に人気が増したじゃないの!」

「そうだよね〜

普通、彼女が出来たら人気が下がるはずなのに、更にファンが増えてるでしょう?

成月先生の極上の微笑みが功を成したのかしら。」

「でもねえ…。

先生ったら、今年は彼女が出来たから頂く事を辞退するって前もって言ったみたい。」

「それで引き下がると思う訳?」

「…思いません。」

「熱烈なファンを侮っては駄目よ。

どんな事をしても渡すのが、成月先生のファンでしょう?」

「そうでした…。」

「さて、診察室にどれだけチョコレートの箱が積み上がるか見物よね。」

「楽しみ〜♪」

診察室の隣できゃっきゃっと声を上げながら話す職員の会話を青筋を立てながら忍は聞いていた。

忍の不機嫌な様子に、苦笑しながらも指示を仰ぐ看護師達。

そんな中、確実に積み上げられて行くチョコレートを横目で見つめながら、忍は息をついた…。



その頃、夏流は毎年、職場の上司に感謝の気持ちを込めてチョコレートを渡していた。

最後にバッグの中に残されているチョコレートを見つめながら溜息をつく。

(多分、忍は今頃大量にチョコレートを貰っているのだろうな…。

ふうう、どうしてあんなにモテる人が彼氏になったのかしら。

未だに持って、本当に信じられない。

そして、忍がいちいち私に嫉妬させる意図が分からないわ。

だって、毎回、反応していたらうんざりするのは忍だと言うのが解らないのかな?

あ、それよりも、チョコレートの数を集計しなくっちゃ。

お返しも考えないといけないし、ねえ。

さて、帰宅したら電卓とメモ用紙の準備、それよりもパソコンを立ち上げた方がいいかしら。

あ、予算も考えないといけないわよね〜)

などなど、忍が貰ってくるチョコレートのお返しを夏流が今から考えているとは、忍は夢にも思わなかった…。



夕方、食事の準備をして忍の帰りを待っていた夏流は、ふと、今朝の忍の事を思い浮かべていた。

顔を真っ赤にして怒り、不機嫌な様子を露にする忍は本当に子供っぽい…。

以前、美咲が職場での忍の印象を教えてくれたが、自分はそんな様子の忍を見た事が無かった。

それ程忍は表情豊かで、そして子供っぽくて情熱的で…。

考えに没頭していたいた間に、忍が大量の段ボールを抱えて帰宅した。

持ち帰ったチョコレートの数に流石の夏流も暫し、言葉を失った。

やっと言えた言葉が「…凄い」のただ一言だった。

そんな夏流を冷ややかに見つめながら忍は淡々とチョコレートをテーブルの上に積み上げて行く。

一つ、また一つと摘み上がって行くチョコレートをこれでもか、と言う感じで無言で積み上げて行く忍に夏流は
深いため息を漏らす事しか出来なかった。

内心、呆れ果てている夏流の様子を感じつつも忍は更にチョコレートを積み上げて行く。

最後の一つを積み上げた忍がぽつり、一言言った。

「今年は672個貰った…」

忍の言葉に夏流は言葉をかけるタイミングを失った。

「そしてその中で直に貰ったのが、430人…」

「…」

「…断るに苦労した。」

「…だから?」

「…嫉妬しないのか?」

「…嫉妬して欲しいの?

忍は。」

「…そうだと言ったら?」

「じゃあ、今日貰った672人の人全てに、忍が私の彼氏だからチョコレートを渡すのを止めて下さいって言えば、
忍は満足なの?」

「…」

「違うの?

じゃあ、どうして欲しいの?

私に。」

「…不安なんだ」

「はああ?何が?」

「夏流に愛されているか、自信が無い。」

忍の意外な言葉に夏流は目を見開き忍を見つめた。

「俺が女性に絡まれている場面を見ても眉一つ動かさない夏流の態度を毎回見ていたら、
不安が募っていくとは思わないのか?

それで無くても俺が未だに夏流とこうして交際している事が奇跡だと感じているのに…。

夏流を強引に奪う様なカタチで心に踏み込んで、そして感情を植え付けて。

そんな俺が夏流に愛されているか、不安になる気持ちが解らないか…?」

忍の言葉にだんだんと怒りを抑える事が出来なくなった夏流はつかつかと忍の前に進み、
そして思いっきり忍の頬を叩いた。

パチン、と小気味よい程、音が部屋中に響く。

一瞬、自分に何が起こったのか、反応する事が出来なかった忍の視線に入ったのは涙を浮かべ真っ赤になって
自分を見つめる夏流の顔であった…。

頬をさすりながら、夏流の見つめる忍に声を上げて言葉を放つ。

「もう、この人は何が言いたいのよ!

信じられない…!

だから嫉妬して欲しいって。

じゃああ、忍は私が毎回、どんな気持ちを抱いているか解ってないでしょう?

綺麗な女性に囲まれる姿を見て、どうして私を選んだのか、毎回、悩む私の気持ちも!

劣等感を持たないと本気で思っている訳?

私だって人間よ。

感情だってある!

嫉妬心だって人一倍、あるわよ!

だけど、それをいちいち出したら忍に嫌われるとは考えない訳?

もう、いい!

もう沢山!

毎回、思い悩む自分も嫌だけど、私の想いを疑う忍の側にいるのはもっと嫌!

出て行く!」

夏流の涙ながらの告白に呆然としながらも、忍は頬を緩め目を細めた。

そして背後から夏流を抱きしめ強引に唇を奪う。

いやいやと首を振り逃れようとする夏流の唇を、角度を変え何度も奪いながら、忍は夏流を抱き上げ寝室へと向った。

ベットに横たえ更にキスを深めていく忍の身体を押しながら、夏流は抵抗する。

そんな夏流の顔を見つめ、熱っぽく言葉を囁く。

「愛してる…」

「いや、聞きたくいない」

「愛している…」

「嫌…!」

「愛している、夏流…!」

「…」

情熱的に愛を囁き、熱い吐息が身体を翳める中、夏流は忍の熱情にいつの間にか身を任せていた…。

目が覚めたのは夜明け前だった。

既に目を覚ましていた忍は、夏流に軽くキスをした。

そして甘い微笑みを浮かべながら夏流に言葉をかけた。

「無理させてごめん…。

抑える事が出来なかった。」

忍の告白に真っ赤になって俯いた夏流は、至る所に所有の跡がくっきり残っている事に顔面を蒼白させた。

「…し、忍、これ、隠せないじゃの…。

それに、ま、まさか…」

夏流の言葉に、苦笑しながら忍はこくりと頷いた。

「うん、してないよ」

忍の言葉に夏流は項垂れながらも、忍に抱きついた。

「子供が出来る前に籍を入れないと。

早めに式を挙げよう。

…危険日だったんだろう、今日って。」

忍のストレートな言葉に夏流は思いっきり忍の胸を叩いた。

「もう、忍のバカ!」

ぽかぽか叩く夏流の思いっきり抱きしめながら、忍は笑いながら夏流の項に唇を寄せた。

密着する忍の身体の異変を感じ取った夏流は、顔を引き攣らせ離れようと試みたが、出て来るのは甘い吐息のみ。

霞む視線の中で忍の情熱を直に受けながら、夏流は意識を飛ばしたのであった…。



一ヶ月後。

672人分のお返しをデパートに買いに向った2人がお互いに思った事は、来年は絶対にストップをかけようという事であった…。

大量に積み上げられるお菓子の箱を見つめながら、溜息しか出ない。

そんな夏流を見つめる忍の頬が緩んでいる事に、夏流は気付かなかった…。




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いつも忍と夏流のお話に付き合って下さり、有り難うございます。
今回、おまけとして後日談を書かせて戴きました。
興味のある方はこちらを押して下さい。
これからも宜しくお願い致します(深々)






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