噂の彼女 その3


「最近、やたらと成月先生、機嫌がいいわよね?」

「あら、貴女も感じていた?

そうなのよ。

あの、滅多に感情を表に出さない成月先生が、ふとした拍子に、微笑んでいるの。

それも極上の微笑み。

この病院に勤務されて3年になるけど、初めて見たって外科外来の看護師が言っていたわ。」

「うそ〜!!」

「ホント。

新しい情報によると、どうも先月、婚約したって言う噂よ。」

「きゃああああ、ショック!

もしかして、例の彼女。」

「ご名答。

先週、成月先生が急遽、夜勤になったじゃない。

その時、成月先生に着替えとか、差し入れを渡していた彼女がそうらしいの。

知ってる?

先生、あろう事か、彼女に別れの際にキスをしたって。」

「…信じられない…。

あの、成月先生が。」

「もう、彼女にメロメロだって。

見た看護師が余りの成月先生の甘さに、その場に失神しそうになったって。

見てはいけないモノを見たって言っていたわ。

しかし成月先生を骨抜きにする彼女って、一体どんな女性だろう…?」

「見てみたいわよね…」

その場にいた職員一同、皆、同時に頷いた。



最近、忍の職場では夏流の話題で騒がしている。

斎賀総合病院に勤務して3年になるが、忍は毎日の如く女性に告白をされていた。

夏流以外の女性には眼中の無い忍には、毎回、休憩時間に告白にくる女性職員に、ほとほと気が滅入っていた。

端から見ると「この果報者が…、全男性職員の敵」と罵られていても、「それはそっちが勝手に言ってる事だろう?
こっちの身にもなって欲しい」と言うのが忍の心情だ。

それと同時に、「夏流が自分が告白された事に、少しはヤキモチを妬いてくれたらいいのに…」、と思いつつ
時々、話題として取り入れても一向にそういう気配を見せない。

たまにそんな夏流に不機嫌になるのだが、それも軽くあしらわれるので、忍としては全く持って面白く無い。

「どうしたら、夏流に嫉妬という感情を芽生えさせる事が出来るのだろうか?」と透流に真面目に愚痴ると、
「お前は俺をなんだと思ってる?」と非難の言葉が返ってくる。

毎回、夏流の相談で透流に呆れられ、小言を浴びながら、忍はある思いに耽っていた…。



夏流は確かに、初めから俺に興味を持っていなかった…。

10年前、夏流に交際を申し込み、初めてを強引に奪い、心の中に踏み込んで自分と言う存在を植え付けたが、
俺は夏流に対して本当に最低な事ばかり行っていた。

別れを告げた時、正直、このまま彼女を解放しようと思っていた。

実際、そうするべきだと思っていた。

それが夏流に対する、自分が出来る贖罪だと…。

だが、心の中はそんな綺麗ごとでは済まされなかった。

自分の心がどんなに夏流を欲しているか、別れた後、身を以て知った。

何度も逢いたいと思った。

何度も夏流を抱きたいと思った。

夏流が他の男に奪われる様な事になったら俺は正気を保つ事が出来るだろうか?、
といつも心の中で自問した。

そんな感情に捕われる時、俺は浴びる程の酒に浸った。

一瞬でもいい。

この遣る瀬ない感情を鎮める事が出来たら…。

そして後で自分の行為に呆れ、失笑する。

「こんな事をしても、求める感情を抑える事が出来る訳無いだろう…?

そんな事で、簡単に打ち消す事が出来る程の想いだったのか…?」と。

夏流を求める感情が日に日に増し、限界を超えようとしていた矢先に、透流から結婚式の招待状が届いた。

職場の同僚で4歳年上の理学療法士の裕美さんとの結婚が決まった、と言う透流の言葉に、
俺は透流の結婚を心から喜んだ。

その後「夏流も招待している…」と言う透流の言葉に、俺は一瞬、返答する事が出来なかった。

8年ぶりに夏流と再会する。

俺はもう出会ってもいいのか?

夏流は今も独身で、交際相手はいないと透流から聞いている。

だけど、夏流は俺の事をどう思っている?

少しでも俺に対して、感情を抱いているのか?

再会したら夏流はどんな反応を俺に見せるだろうか?

俺の想いを受け入れてくれるのだろうか?

それとも、拒絶されるのだろうか…?

もし、拒絶されたら俺はどうなる?

俺は自分を保つ事が出来るだろうか…?

透流の結婚式が近づくに連れて俺は、当日、自分の感情をどうコントロールすればいいのか、考え倦ねていた。

夏流との再会をずっと望んでいた。

だが…。

そんな最中、結婚式当日、急遽仕事が入った俺は、出席する事が出来なくなった。

「折角、招待してもらったのにすまない…」と何度も透流に謝る俺の様子を笑いながら透流は、
俺に一枚の写真を差し出した。

写真を見た途端、俺は感情をどう扱えばいいのか解らなくなり、知らないうちに涙を流していた。

それは式に参加した夏流の写真だった…。

淡い水色のワンピースを着た夏流がブーケを腕に抱き、こちらに微笑んでいる。

(なんて綺麗なんだ…!)

凛とした微笑みの中に優しさが滲んでいて、見ているだけで心が温かくなる。

ああ、夏流は本当に自分の道を確実に歩んでいるんだ…。

何度も確かめる様に写真に指を這わせた。



そして俺は思った。

まだ夏流には会えないと…。

今の俺は、まだ夏流に相応しいとは到底、思えないから。

そう思った途端、心の中に蠢いていた感情がいつの間にか消え去っていた。



そしてその2年後、俺は夏流と再会し、今に至る…。



パスケースを開き写真を見る。

あの微笑みが今、俺の側にある。

心の中が熱い思いで満たされる。

急に夏流の声を聴きたいと思った俺は、屋上に上がり携帯の電源を入れ、夏流宛に発信音を押した。

何度目かのコールで夏流が携帯に出る。

「どうしたの?こんな時間に…」と言う夏流の言葉に俺は、只一言、「愛している…」と囁いた。

一瞬、会話が途切れ、そして何秒か後に「私も愛している」と小声で囁く夏流に、俺は微笑んだ。

多分、顔を真っ赤にして答えているのだろうと思うと、愛おしさで一杯になる。



今日、俺は君と、どんな会話をするのだろうか…?

帰宅する俺に、君はあの微笑みを浮かべ、玄関迄迎えて入れ、そして「お帰り」と言葉をかけてくれる。

そう思える幸せに心を綻ばせながら、俺は、携帯の電源を切り職場へと戻っていった…。




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