噂の彼女 その2


「成月先生、好きです…!

私と付き合って下さい」

「悪いけど、君の事をそういう対象で見た事がない。」

素っ気ない忍の言葉に、告白をした看護師の顔には焦燥の色が窺えた。

(また、成月先生に告白している…。

みんな、バカよね。

だって、成月先生には心に決めた女性がいるのに…)

そう、このパスケースの中にある写真の女性が…。

ずきり、と胸に痛みが走る。

どうして好きになったんだろう…?

最初から手が届かない人だと解っていたハズ。

自分よりも10歳以上年上の大人の男性。

総合病院の外科医であり、モデル顔負けのスタイルの良さに、そして、輝く様な美貌。

初めて出会った時、余りの美貌に言葉を失った…。



半年前、私はこの斎賀総合病院で成月先生と出会った。

成月忍先生は、私、篠崎有希の担当医である。

横断歩道で自転車に乗って渡ろうとした私は、信号を無視して走行する車を避けるため、バランスを崩し転倒をし、
外傷による右下腿の骨折と数カ所に及ぶ擦過傷を負った。

そしてこの病院に救急車で運ばれ手術をし、入院したのだが…。

その時、執刀したのが成月先生であった。

まだ20代ながら、成月先生の腕前は確かだと言う事は病院中、周知の事柄。

私の右下腿の傷も、彼のお陰で傷が殆ど残らなかった。

初めて好きになった。

初恋だった。

余り感情が表に出なくって、少し冷たい感じがするのにふと、笑った時の笑顔がとても優しくて。

なかなか治らなくて不満を漏らす私に、「ナイショだよ」、と言ってそっと差し出してくれたチョコレート。

甘いモノは気持ちを落ち着かせる作用も働くんだと言って、微笑んで私にくれた。

じんわりと心が温かくなった。



そしてその時、私は恋に落ちた…。

逢う度に心の中が切なくなっていった。

最初は見つめているだけで幸せであった。

彼が毎日、自分の病室に来るのを楽しみに待っていた。

傷の症状の診察をし、私の容態をカルテに記入して看護師に指示する。

真剣な眼差しで自分を見つめる。

その時だけは彼は私だけのモノ。

傷が永遠に治らなければいいのに…。

そうすれば、成月先生とずっと逢う事が出来る。

ずっと独占出来る事が出来る。

だけど、それは叶えられない事。

私のそんな感情とは裏腹に、退院が刻一刻と迫って来た。

そんな中、私は病室で偶然、パスケースを拾った。

黒革の肌触りの良い二つ折りのパスケースで、中を見ると写真が2枚、入っていた。

一枚は子供の頃の成月先生と両親と思われる写真。

そしてもう一枚は女性の写真であった。

体中の熱が一気に冷める感覚に陥った。

写真の中の女性はとても綺麗で優しく微笑んでいた。



結婚式に参加したのだろうか?

背景が結婚式場の雰囲気に彩られていた。

涙がぽつり、とパスケースの写真を濡らしていた…。

いつの間にか涙が溢れていた。

「バカよね。

好きになって。

成月先生程の人が彼女がいない訳無いじゃない。

なのに好きになって…。

最初から実る恋でもないのに、なのに…。

バカな有希。」

その日、私は想いの限り泣いた。



次の日、いつもの様に回診の為、成月先生が病室に入って来た。

「もう少しで退院だね。

今迄よく頑張ったね…」

優しく言葉をかける成月先生に、私の心は締め付けられた。

ずっとパスケースを探してるハズだ。

表情の乏しい先生が、落ち込んでいる風に見えるのは私だけでは無いはず。

返したらとても喜ぶだろう。

だけど…。

先生のあの優しい微笑みを彼女が独り占めしていると思うと、心がずきりと痛んだ。

嫌だ…!

先生を取らないで!

私だって先生の事が好きなの。

子供と思われてもこの想いは真剣だもの…。

返したく無い。

だけど…。

だけど、成月先生のあんな表情を見るのはもっと嫌。

悲しそうな、寂しそうな表情。

だから。

「先生、これ昨日、病室で落とされていましたよ。」

そっと、パスケースを差し出した。

パスケースを見た途端、先生の表情が今迄に無い程、喜びに満ちあふれていた。

先生の表情を見て、私は本当の意味で失恋した事を確信した。

だって、先生にあんな表情をさせる事が出来るとはとても思えないから…。

回診中だと言うのも忘れて、ケースを開け、慈しむ様に写真を見つめる先生に、そっと言葉をかけた。

「その女性、先生の恋人ですか…?」

私の問いに、今迄に無い程優しい表情で私に答える。

「僕が一生、共にいたいと思っている女性だよ。」

その時の先生の言葉を私は忘れる事が出来なかった…。



あれから半年が経過した。

私は退院した後も、半年の間、病院を通院した。

相変わらず先生の人気は荒ましく、噂で職員が告白しては断られていると耳に入った。

そして新たな噂では、成月先生に彼女が出来たと言う…。

(あの時の女性だ、きっと。)

最近、先生の表情が柔らかくなった。

厳しさの中にふと微笑む笑顔が、何時になく優しさに溢れていた。

そう実感した。

診察が終わり、会計を済ませようと待ち合いで待っていると、あの写真の女性が目の前から歩いて来ていた。

その時の驚きをどう、言葉に喩えたらいいのだろうか…?

見た途端、彼女の持つ雰囲気に私は一瞬、魅入られた。

優しさの中にも、確かな自分を持つ雰囲気を感じる大人の女性。

(ああ、だから成月先生は彼女を好きになったのね…。)

自分の失恋を改めて認識したのに、なのに悲しみよりも優しい気持ちに捕われていた。



「夏流…!」

彼女の姿を見つけた成月先生が、優しく彼女に呼びかける。

微笑む先生に彼女も優しい笑みを浮かべる。

幸せなそうな2人の時間。

そんな2人の優しい雰囲気を見つめながら私は、病院を後にした…。




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