Act.9 否定と肯定の分岐点


自分の元に向かって来る夏流を見ながら忍は、やはり夏流は目を引く存在だと、改めて思っていた。
普段掛けている眼鏡はコンタクトに変えて、そしていつも束ねている髪はほどかれていた。

艶を含んだ長い髪をなびかせ歩く夏流の姿に一瞬、目を見開いた。

(やはり思った通りだ。
夏流は自分に無頓着すぎる。
今の自分がどれだけ人を引きつけるか、全然解っていない)
苦笑とも溜息ともつかない息を軽くはきながら、忍は夏流に言葉をかけた。


「時間通りだね、夏流」

「あ、貴方こそ、時間よりも早く来ているけど。
そんなに時間に真面目だったなんて、信じられない。」

「夏流の俺に対するイメージって、今の言葉で解ったよ」

「…」

「そんなに俺って、信用が無い?」

「当たり前でしょう!」

「即答だね」

「…貴方の今迄の態度を見ていたら、何をどう信用しろって?」

「俺は本気だよ。
夏流に対しては」

「信じられない」

「じゃあ、どうしたら信じられる?」

「え…」

忍の問いかけに一瞬、言葉に詰まる夏流。
そもそも忍に対して最悪な印象しか持ち合わせていないのに、信じるって言葉を、どう結びつけたら良いのだろうか…?

(拷問としか言えない問いかけなんだけど、どう返答したらいいの?
もう、最悪。
胃が痛い)

「人生最悪って顔をしているよ、夏流」

「もう、誰の所為よ!そう思うのなら、今後一切、私に関わらないで」

「無理だね」

「だったら、ほっといて」

「それも無理」

「…貴方に常識を持ち合わせて、言葉をかけた私が愚かだったわ」

「夏流の常識って、俺に構って欲しい事なんだね」

「…もういい」

「ふふふ」

忍との不毛な言い合い(回りにはただの痴話けんかにしか見えない)にほとほと辟易していた夏流は、
目的地に着いたと言う忍の言葉に安堵した。
だが、安堵したのもつかの間、夏流は、忍が食事に誘った場所を見て、唖然とした。
そこは、和風の古民家の様な建物で、中に入ると日本庭園を思わせる庭がある、
とても落ち着いた雰囲気のお店であった。

学生が食事に行くには、余りにも場違いな場所だと思う夏流を促しながら、店員に話しかける忍。

一応、食事代を割り勘で考えていた夏流は、支払いが出来るかどうか、だんだんと不安になっていた。

「ねえ、ここってかなり高そうだけど…」

「何も心配する事は無いよ。
夏流に支払って貰おうって考えは、一切持ち合わせていないから」

「で、でも」

「こんばんは、忍君」

「あ、輝さん」

「今日は大切なデートに、僕の店を選んでくれて有り難う。
期待に添える食事を、忍君たちに振る舞うよ」

「有り難うございます。」

「しかし、さすが兄弟だね。
兄貴に似て、忍君も面食いだ」

「そうですか?」

「ああ」

2人の会話を訝しげに見ている夏流に気付いた忍は、夏流に微笑みながら、輝を紹介した。

「この人は、兄貴の親友で高槻輝さん。
この店のオーナーだよ」

「初めまして。」

「初めまして。
坂下君の学友で、藤枝夏流と申します」

「学友ではなくて、恋人だろう、夏流」

「さ、坂下君!」

「ははは、忍君が女の子に本気になってる姿を見るとはね…。
豪が見たら、喜ぶよ」

「輝さん。
兄貴にはまだ、内緒にして下さいよ。
解った途端、姉貴とか、両親が出しゃばって来るから」

「あははは、そうだね。
君の家族は、過保護だから」

「輝さん、それは禁句ですよ」

「おや、失礼」

「…」

忍と輝の会話に明らかに戸惑いを隠せない夏流の様子に、忍は微妙な視線を投げ掛けた。

「そんなに意外かい?
夏流」

「べ、別に」

少し不機嫌な声音で伝える忍に、夏流は言葉を詰まらせながら曖昧に返事をした。
夏流の返答にますます不機嫌な言葉で話す忍。
そんな2人の様子を微笑ましく見つめていた輝が、従業員に呼び出され部屋を後にした。

その後、すぐに食事が運ばれたが、夏流はテーブルに置かれる料理を見て感嘆した。
彩りの素晴らしさも然る事ながら、食材も新鮮で美味しかった。
前菜から、メインに至る迄、幸せそうな笑顔で食べる夏流を見る忍の瞳は、
何時に無く優しさに溢れていた。
そんな視線を感じながら夏流は、頬が赤くなるのを隠す様に、
「どうせ大食いですよ」とぷいと頬を膨らます。
忍がそんな夏流を見て、屈託のない笑い声を上げる。

穏やかな時間が、いつの間にか過ぎていた。

食後のデザートと紅茶を飲みながら夏流は、ふと、忍を姿を窺った。

(本当に姿だけではなくって、マナーも綺麗なんだ。

育ちがいいのが頷ける。)

夏流は忍に対して、固定観念を強く持ちすぎたのではないのかと言う考えに捕われていた。
今日の忍は普段、学校で見る彼とは随分とかけ離れていた。


本当の彼はもっと…。

ふと、顔を上げると。

隣には、いつの間にか忍が座っていた。

考えに意識が飛んでいた夏流は、忍が隣に移動してきた事に、気付く事が出来なかった。

しんと、静まる空気が2人を覆う。


そっと、夏流の髪に触れる忍。

そして指に絡ませ愛おしむ様に、唇に触れた。

忍の突然の行動に驚いた夏流は、非難の言葉をかけようと忍の顔を睨んだ。
だが、忍の表情を見た途端、夏流は言葉を失った。

自分を見るめる忍の瞳は、何時になく真剣であった。

そして、熱を含み自分を求めてる…。
恋愛に疎い自分ですら解る程に。

心の中で警告音が鳴り続ける。
言葉を出したくても、何をどう言っては良いのか解らい程、気持ちが混乱していた。
忍が怖いと思った。
それよりももっと怖いのは、自分の気持ち。

今、ここから逃げ出さないと、私は捕われてしまう。


(いやだ。

私は誰にも踏み込まれたく無い。

私は…!)


気持ちを奮い立たせた夏流は忍の視線を逸らし、その場から逃げ出そうとして、
忍の前から立ち上がろうとした。
そんな夏流の腕を掴み自分に向かわせる忍。
底はかと無い恐怖が自分を包んだ。

「腕を放して!」

声が震える。

「何処に行こうとする?」

鋭い言葉。

「突然なんなの?
坂下君」

細く綺麗な指が、すっと近づいて

「今日は何故、いつもと違うんだ?」

髪に触れて、優しく梳いて。

「え…」

そして。


「俺の事が気になる?」

頬に触れて、唇の線を辿って。


「な、何言ってるの?
自惚れないで」

顎を捉えて。

「だったら、どうしてそんな風に俺を見つめる?」

だんだんと綺麗な顔が自分に近づいてくる。

「どういう事?」

声が裏返る。

「気付かないのか?」

ふっと、目を細め、右耳に唇が近づいて。

「わ、解らない。
言ってる意味が解らない」

艶やかな声が、翳める。

「綺麗だ、夏流」

彼の態度が怖くて、思わず目を瞑った。

「い、いきなり何を」

そんな私にふっと、微笑んで、そっと抱きしめて。

「俺を意識している証拠だね。
だから、装ってきたんだね。」

だんだんと腕の力が強くなって。

「え…?」

熱っぽく私に囁く。

「好きだ。
夏流」

瞼に唇が触れて。

「私は…」

頬を唇が辿って。

「貴方の事が好きではない、とは言わないのか?」

逃げ出したくて、抱きしめる腕をほどこうにも、どうにもならなくて。

「坂下君。

さっきから、何を…!」

叫んで反論するしか、なす術がなく。


「夏流に揺さぶりをかけてる」

貴方はそんな私を、もっと強く抱きしめた。

「いや、放して!」

何度も何度も抵抗を試みたけど。

「嫌だね。
俺は夏流の言葉に素直に従う程、聖人では無いのでね。
それに…。
悠長に進めようとすると、夏流は俺から逃げてしまう。
逃がさないよ、俺は。
だから、俺は強引に踏み込むよ。
夏流の心に。」

「どうして…」

それ以上、私は言葉を紡げなかった…。


いつの間にか私は、彼の唇を受けいれていた。


自分の中で何かが音を立てた。

私は、自分の中で境界線が崩れていくのを、止める事が出来なかった。




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