Act.36 夢の住人 その6 「貴方は最初からこうなる事を解っていたのですね、父さん!」 両上肢の切創を縫合すべく処置を受けている忍の帰りを待つべく、特別室で控えていた坂下家の家族の心は深い哀しみに満ちていた。 豪の問いかけに浩貴は何の反応をも示さない。 苛立ちが豪の心に沸き上がり思わず声を荒げた。 そんな2人の様子を弥生達は静かに見守っていた。 「貴方は俺に忍の幸せを考えての行動をとれと言いましたね。 だが、貴方は…。 貴方は本当に忍の事を思われてなされたんですか? 俺は今回忍が意識を手放した時、貴方を心の底から憎んだ。 貴方が夏流という少女と再び出会う事を仕組まなければ、忍は…。 忍はあんな風に壊れる事はなかった。 たとえ、それが忍が心の底から望んでいた事であっても…!」 「…」 「確かに忍が何時か自分の内面と対峙しないといけない事は、俺にも解っていました。 乗り越えないといけない壁だと言うことも重々承知しています。 だが、それでも思いださない方が幸せだという事だってあります。 忍は坂下家に引き取られ、心穏やかに生きていたんです。 それを貴方は強引に忍の心を開かせた。 何故、貴方は…!」 「それは言わなくても解る事だろう、豪。」 静かに答える浩貴に、目を見張る。 激情に心が奪われていた豪は、浩貴の一言に我を忘れていた事を恥じた。 一呼吸おいて浩貴に答える。 「…ええ、解っています。 遅かれ早かれ何時かはこうなる事はずっと解っていました…。 今の忍の幸せは、かりそめの幸せだという事も。 だが、それでも俺はこの幸せを守りたかった。 忍をこれ以上傷つけたくなかった。 忍の苦しむ姿をもう二度と見たく無かったんです…!」 側から朱美のすすり泣く声が聞こえる。 「俺たちは忍に取り返しのつかない傷を背負わせた。 許されるべき事ではない…! 目覚めた忍が「あの時」の記憶を失っていた時、正直、俺は救われたと思いました。 忍に贖罪出来ると、そう思ったんです。 何年かけても償おうと。 ええ、自分勝手で利己的な考えです。 それが忍を望んだ俺たちの罪だから。 だけど忍はそれを望んでいなかった。 忍は俺たち坂下家の家族を心から愛していた。 そう、本当の家族の様に…。 だから精神が崩壊した。 忍。 お前を追いつめた俺達を許してくれ…。」 涙を流し心情を訴える豪に、愛由美が優しく肩を抱いた。 豪の頬に止めども無く涙がつたっていた…。 「忍、お前は目覚めていてもずっと長い夢を見ていたんだな…」 「…坂下さん?」 「…ああ、済まない。 忍が意識を無くした時の事を思いだして、つい、ね。」 「…」 「忍は7年前からずっと夢を見続けていた。 長い夢をね。 君と再会した事で、忍はやっと夢から目覚めようとしているんだね。」 「坂下さん」 「…送ります、夏流さん。 遅く迄付き合わせて申し訳無い事をした。」 豪の謝罪に夏流は慌ててかぶりを振った。 そして一間置いて、豪に話した。 少し躊躇いながら…。 「坂下さん。 忍さんが目覚める迄、私、ここにいてもいいでしょうか?」 夏流の意外な言葉に豪は困惑した。 「学校には通います。 自分の身の回りの事も、坂下さんには一切ご迷惑はおかけません。 私、時間の許される限り忍さんの側にいたいんです…!」 深い嘆息を零しながら豪は夏流の見つめた。 「…それは忍に対する負い目ですか? こんな姿になった事への。 君がそこまで忍に対して責任を感じなくても…。」 「違います。 私、忍さんが目覚めるのを側で待ちたいんです。 だから…。」 ふと目を細め淡い微笑みを夏流に向ける。 暖かみを感じる豪の微笑みに夏流は頬を染めた。 (本当にこの人の微笑みは何処迄も優しいのだろう…) 「私、忍さんと対峙したいんです。 私が知っていたのは、今の忍さんであって7年前の彼ではないんです。 だから知りたいんです。 そして自分の中にある彼に対する気持ちが何なのか、それをはっきりとさせたいんです…。」 「…そうですか。 解りました。 君の好きな様にすればいい。 病棟の方には私から言っておくよ。」 「有り難うございます!」 「お礼を言うべきは私の方だよ。 有り難う、夏流さん…」 病室を後にした夏流はその後豪に食事をごちそうになり、マンション迄送られた。 そして帰宅後、夏流は直ぐさま荷造りを始めだした。 明日から病院から学校に通う事になる…。 ふううと息を吐き、心を引き締める。 (絶対に坂下君は目覚めるわ。 その日が来たら私は彼ときちんと向き合って…。 そして決着をつけよう。 私も前に進みたいから…!) |