Act.31 夢の住人 その1




母が交通事故にあい病院に運ばれたのは、私が小学校5年の時だった。

相手側の居眠り運転による接触事故で、母はその事故で頭部を強く打って脳内出血を起こしていた。

頭部の外傷が思いのほか酷く、母はその時、既に意識を失っていた。

隣で運転していた達流おじさんは、病院で治療を施される前に事切れていた。

そして母は集中治療室で12時間以上にも及ぶ手術をしたが、何日が過ぎても意識が戻る気配はなかった。

その現実を手術が終わった後、担当医から直接聞かされたとき、私の目の前は真っ暗になった。

そう、母親の意識が戻る確立は極めて低い現実を…。

生まれた時から父は既にこの世にはなく、私には母と母の妹である多恵ちゃんしか身内がいなかった。
母はいつも仕事に追われていたが、私達をとても慈しんでくれた。
父親がいない事に寂しさを感じていたが、それ以上の愛情を私は2人から与えられていた。
だから、母が意識不明になった時、多恵ちゃんと一緒に力を合わせて頑張っていこうと心に誓っていた。

目覚める確立が低くてもゼロではない…。
心から願い頑張れば、何時か母親が目覚めて元気になる。

幼い私はそう、夢見ていた。

でも現実は自分が思う程、甘いモノではなかった…。

救急での入院であるため、常に母の側に看護が必要であり多恵ちゃんは、職場に休暇届けを出し母の看護に当たった。

そして私も学校から帰宅すると直ぐさま、多恵ちゃんと変わるべく看護に励んだが…。
子供である自分が出来る事は本当に微々たるものだと、実感した。
何をしようと思っても、全て多恵ちゃんの手助けがなかったら何も出来ない自分が悔しかったし、悲しかった。

母が入院して何週間が過ぎた頃、色々な事が押し寄せ全てを一人で抱えていた多恵ちゃんは、精神的にも肉体的にも限界がきて高熱を出して倒れた。
多恵ちゃんの彼氏である佑司さんがその事を知り、多恵ちゃんの看病に当たったが、その間、私が母の側にずっといた。

不登校が続き、このままいけば出席日数が足りなくて進級できるかどうかという問題を抱えながらも私は学校を休み、母親の看病をした。

学校に行っても、母親が達流おじさんと不倫関係にあり、その事で自殺をしたのではないか?と言う偽りの噂が何処からか広がり、私は同級生のいじめにあっていた。

交通事故は自分たちが引き起こした事で、相手側が加害者ではなくむしろ被害者なのでは?と言う心ない事迄、言う始末だ。

子供というのは時には残酷で、無慈悲なものだとあの時、本当に思った…。

母親が目覚める事がないかもしれない現実に、追い打ちをかける様に不幸が私にのしかかった。


虐められいる事を学校側に言うにしても、所詮、子供が言う事、何処迄が真実であるかを学校側は突き止めようとも、ましてや庇護しようともしなかった。

いじめは何処迄もエスカレートして私の心に消す事の出来ない傷を与えた。

熱が引き、体調を戻した多恵ちゃんに何度も相談しようと思った。

だけどいっぱいいっぱいの多恵ちゃんにこれ以上の事を言う事が出来なかった。

私の事迄心配かけて、これ以上、多恵ちゃんの足手まといになっては駄目。

だけど…。


何処にも言う事が出来ない私は、何時しか暗い考えに捕われていた。

そう、哀しみは人を何処迄も深い闇に包み込もうとする…。

どうして世の中はこんなに残酷なの?

私から母親を奪うだけではなく、どうして私を虐めるの?

私が何をしたって言うの?

何故…。

何時しか私は、何度も屋上に上がっては、屋上から下を眺めていた。

ここから落ちたら全てから解放される。

虐めからも、母親の病気と言う現実からも…。

あれほど、母親が目覚めるまで頑張ろうと心に誓った事が、日々起こる現実に全てを奪われていた。


そんな中、私は一人の少年と出会った。

車いすに座ったその少年に、とても綺麗な女の人が悲しく微笑みながら話しかけている。

泣きそうな顔をしているのに、声が元気であるかの様に振る舞う様子に心が引っかかった。

側によって2人を見つめると、その少年の瞳は何事にも反応していなかった。

そう、まるで母と一緒…。

急速にその少年の存在が私の心に焼き付いた。



幼い私は自分と立場が真逆な彼に、強く惹かれていったのであった…。





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