Act.19 平行線 下校時、いつもの通り忍は夏流の教室まで迎えにきていた。 最初、夏流が忍と付き合う事に反感を抱いて坂下親衛隊の女子やクラスメイト達も、忍の夏流に対する態度を見て、 この2人の恋愛を認めざる得ないと思う様になった。 それ程、忍の夏流に対する熱愛ぶりは、誰が見ても明らかだった。 その熱愛ぶりを直に受けている夏流の気持ちは、微妙なものだった。 告白を受けたとき、余りにも馬鹿げた告白を受けたので、からかっているかと憤慨すれば、突然、態度をがらりと変えられ、キスされて。 その後は忍のペースに捕われ、気持ちが揺れ動き始めたらと思ったら、自分に対する想いは恋愛感情では無いと気付き…。 当の本人は、その事に気付いていないと思うと、なんだか堪らない。 (これが、私が完全に彼の事を嫌いだったら、ここまで悩まないのだけど) 自分の中で忍と言う存在が誇示し始めてる。 それも強く…。 (こんな、心の中がぐちゃぐちゃで不安定な時に、まさか透流くんから電話がかかるなんて…。 それも逢って話がしたいって。 やっと、透流くんに対する想いを心の奥底に鎮める事が出来たのに。) 「はあああ、もう、嫌…」 無意識に囁いた言葉に、ぴくりと反応する忍。 「…俺の誕生日を祝うのがそんなに嫌か?」 「え?」 忍の少し低音な声にやっと、今いる自分の状況を把握した。 (ああ、今、坂下君と一緒に帰宅している途中か。 いつの間に、迎えにきたっけ?) 余りにも夏流が鈍い反応を示すので、忍の機嫌は何処迄も悪かった。 相変わらず、夏流は自分の考えに夢中になると、たとえそれが側にいるのが忍であろうとおかまい無しに、自分の世界に没頭していた。 最初、それが面白くてからかっていたが、何度となく続くと、自分に対して本当に無関心だと言う事を語っているな、 と忍は密かに傷ついていた。 出る言葉が、皮肉まじりの嫌みしか出ない。 「…。 本当に夏流は、人の話を上の空でしか聞かないんだな」 「ごめんなさい」 こんな風に素直に謝る姿は、それはそれで可愛らしいのだが。 しかし…。 忍は溜息をつきながら、過去に付き合った彼女達の行動を思い浮かべていた。 (今迄、付き合っていた女達が自分の気を引く為に、ありとあらゆる事をして自分に纏わりついていた様な。 あれはあれで、まあ、鬱陶しかったが。 あそこまでの事はしなくていいけど、少しは俺の関心を引こうとする事が出来ないのか?) ぽつりと出た本心に、厄介な感情に捕われてしまった、と忍は心の中でぼやいていた…。 不機嫌な態度をあからさまに見せる忍に、夏流は、ほとほと困っていた。 付き合いだして解った事だが、忍は自分以外の人間には、これほどの感情を表に出さない。 端から見ていて、一応、穏やかだし(信じられないけど)、誰に対しても一貫して、態度が変わらない。 特に感情を強く出す事もなく、それなりに人付き合いをしている。 まあ、飛び抜けた美貌の持ち主なので、女子には絶大な人気を誇ってるが。 (だけど正直な感想、好みの顔ではないのよね。 自分よりも綺麗な人が自分を好きだなんて、どんな審美眼を持っているのかな?って思うじゃないの。 毎日鏡を見ていたら、普通、美に関してもっと精通されてると思うんだけど。 どうして、私なのよ。 はああ。 自分が心の底から求める言葉を囁かれたら、いくら好みの顔ではなくても、確かに心は動かされる。 他人から見れば、なんて贅沢なんだ、この罰当たりとか、顰蹙買われそうだけど。 だったら、一度、私の気持ちになってみる? 恋愛の法則を一足飛びされて、感情をぶつけられ、求められる私の立場って。 それも狂気を含んだ異常な程の執着。 恋愛感情なんて、彼の中にはこれっぽっちも存在しないのよ。 一ミクロンさえも! 気付かない方が幸せって言う言葉があるけど。 まさに今の私がそれよ、それっ!) 気落ちしている夏流に更に追い打ちをかける様に、忍は言った。 「来月、俺の誕生日は鎌倉の別宅で過ごそうと思ってる。 丁度、連休なので一泊止まりになりそうだけど。 夏流。 いいよね?」 鎌倉の別宅…、なんとまあ贅沢なんだと、心の中で舌打ちした夏流は、所詮、住む世界が違うんだ、だから考え方も違って当たり前と言うこじつけで、 どうにか自分を納得させようと思った。 だからと言って、自分の初体験が、強制的にカウントダウンされている事柄と結びつけるのは、 余りにも強引としか言えない。 絶望的な感情に捕われた夏流の声音は、何処迄も暗かった…。 「…いやと言っても、拒否権は私には無い。」 「ご名答」 「私の気持ちはおかまい無しよね?」 「いや。 もう既に、夏流も俺の事を受け入れてるだろう?」 感情を逆なでる忍の言いぶりに、夏流はだんだんと、苛ついてきていた。 「な、何が? 坂下君、貴方は何処迄、私の言葉をマトモに聞いてくれないの?」 感情的に話す夏流に、感情的な態度で返答する忍。 「その言葉をそっくり夏流に返すよ。」 「坂下君!」 「…名前で呼ばれない俺の気持ちも考えた事はあるか?」 「それは問題をすり替えた言葉と思うけど。」 「俺にとっては、今、言ってる夏流の言葉こそ、問題からずれてると思うけどね。」 「私達って、いつまでも平行線のまま、付き合いが続くのね。」 「それも来月迄の事だよ、夏流。」 「…」 「嫌って言う程、思い知らせてやる。 俺がどんな気持ちを、夏流に対して抱いているか…!」 忍の言葉を聞いて、これがお互い恋愛感情を持つ本当の恋人同士なら、どれだけ幸せだっただろうと、夏流は高ぶる感情を鎮めながら思った。 つ、と自然に涙が溢れ出した。 急に涙を流す夏流に驚いた忍は、制服の内ポケットからハンカチを取り出し、そっと差し出した。 無言のまま、差し出されるハンカチを受け取り、溢れる涙に当てる夏流。 一通り涙を流し切った夏流は忍に、後日、ハンカチを洗って返すから、一言言い、その場を離れようとした。 一人で帰ろうとする夏流の腕を掴み、歩行を早める忍。 忍の急な態度に驚いた夏流は、腕を放す様何度も訴えたが、一向に聞く気配がない。 何を言っても聞き入れてもらえないと観念した夏流は、忍が行こうとする場所に黙って付き合う事にした…。 着いた場所に、夏流は言葉を失った。 そこはイングリッシュガーデンを施した外観を持つ、オシャレなカフェであった。 目の前に並ぶ色とりどりのケーキに、夏流は目をキラキラさせて見つめていた。 お好きなケーキを選んで下さいね、とにっこりと微笑む店員に、迷いながらもフルーツタルトを選ぶ夏流。 「一つだけではなく、もっと選んだら?」と優しい声で促す忍。 忍の言葉に、「では、お言葉に甘えて、このマンゴープリンを」と指差す。 素直に言葉に従う夏流に、忍は優しく微笑んだ。 どきり、と一瞬心が跳ねるが、それは自分だけではなく、回りにいる女性達全てだ、と感じた夏流は、急激に気分が萎えた。 先程から、痛いくらいに嫉妬と羨望が入り交じった視線を夏流は感じていた。 (まあ、この視線にも慣れてきたけど、でもいい気分ではないわね、正直) ガラス張りの窓から差し込まれる光を浴びる忍は、いつも以上に美しさを放っていた。 頬を染めて見つめる女性達の視線を一斉に無視して、ただひたすら、夏流に甘い微笑みをかける。 「ここのケーキが絶品だと以前、姉貴が言っていたから、一度夏流と来たかったんだ。 旨いだろう?」 「ええ」 確かにクリームの舌触りも絶品で、紅茶の薫りも美味しさも最高だった。 ちくちくと体に突き刺さる視線を差し引いても、ここに来て良かったと、夏流は今日ここに連れてきてくれた忍に感謝した。 夏流の言葉に機嫌が良くなった忍は更に笑みを深くした。 「さて、行こうか」と忍に促されカフェを出ようとする夏流。 女性達の羨望の眼差しの中で、強い感情を表す視線を一瞬感じた夏流は、その視線の先に体を向けた。 憎しみとも言える視線を投げ付ける女性を見て、夏流は声を失った。 それは以前、忍が付き合っていた「あの時」の女性であった。 別れる場面をかいま見た、一つ年上の。 燃える様な瞳に見つめられて夏流は、ただただその場所から離れる事が出来なかった。 |