Act.18 坂下家の人々 その3 「来月の誕生日ですが、恋人と一日、過ごしたいと思います。」 帰宅した忍が坂下家の人々に穏やかに話した。 忍の言葉にあからさまに落胆を見せる三人の魔女達に、ますます憐憫の情を深める豪。 隣にいる浩貴は、やんわりと微笑んだままだ。 「そうか。 では、鎌倉にある別宅で過ごせばいい。 お前達が不自由の無い様、管理人の山本に連絡を入れておく。」 浩貴の提案に忍は苦笑を漏らした。 少しはにかんだ様に笑う忍を見て、浩貴はますます笑みを深めた。 浩貴の満足げな笑みををかいま見て背筋を凍らす豪と、顔を歪める三人の魔女達。 「いらぬ事を言って…。」、「忍の気持ちを一気に捉えて」、「このポイント稼ぎ」と各々、舌打ちしながら、心の中で毒ついている。 そんな坂下家の人々の見て、忍様の事になると皆様どうして常軌を逸するのだろうか?と執事を始め、 メイド達が嘆息を漏らしているのは、誰も気付いていない。 只一人、忍を除いては…。 「忍、今から出かける支度をしなさい。 「さざ波」に予約を入れている。」 「さざ波」と言う言葉に、ごくりと喉の鳴らす豪。 美食家達が絶賛する程、超一流の料理でもてなすと言う老舗料亭である「さざ波」は、財界人であっても、 なかなか予約が取れないと言う事で有名な料亭だ。 それをいとも簡単にとったと言う事は、浩貴が財界にてどれだけの力を有しているか、この件でも窺える事が出来る。 さすが我が親父と心の中で賞賛するが、それすらも浩貴にとっては塵芥なものであろう。 彼にとって喜びを与えるのは、あくまでも自分に向ける忍の感謝の言葉だけだ。 これから「さざ波」で行われる会話の中で、あの美しい微笑みをもっと向けるであろう。 そう思うと心からの笑みが自然と沸き上がる。 浩貴の上機嫌な姿に、豪を始め坂下家の魔女達は戦慄を憶え、その場に硬直した。 石化された坂下家の面々を横目に忍は穏やかに微笑んだままだ。 そんな忍に、「どんな事にも動じない忍様は本当に偉大だわ。」と、坂下家の家人達の羨望の眼差しを一気に集めている。 そう、忍は何処迄も坂下家のアイドルであった…。 「父さんには本当に感謝しています。」 「さざ波」に着いてまず、話した言葉がそれであった。 「そうか。」 目を細め微笑む浩貴に、忍はあの美しい笑みを浮かべて感謝の言葉を述べた。 「俺は夏流と再び出会う事が出来た。 夏流があの少女だと気付いた時、俺は父さんの計らいで逢えたと思いました。 俺の今の言葉は正しいと思いますが?」 「ふふふ。 それはお前の願いが導いた事であって、私はきっかけを作ったに過ぎん。 だが、お前の感謝の言葉は何よりも嬉しいぞ、忍。」 「有り難うございます、父さん。」 ああ、何処迄、涼司に似ているんだ、と浩貴は忍を見て、胸が熱くなっていた。 あの事故さえ無ければ、今頃、親子揃って、こんな風に会話が出来ていたはずだ。 自分のあの一言が、これだけの惨事を引き起こすとは…。 過去を振り返り悔やむ浩貴の表情に気付いた忍は、困った様に微笑んで浩貴に言葉をかけた。 「父さんが悪い訳ではありません。 あれは全て事故でした。 だから余りご自身を責めないで下さい。 俺は…、幸せだから。」 忍が本心からその言葉を話しているとは到底思えないが、それでも自分に心を砕く忍の優しさに浩貴は心が温かくなっていた。 そんな忍の思いやりも、涼司にとてもよく似ている…。 「忍。 お前の幸せが私の一番の喜びだ。 お前の望みを私に叶えさせてくれないか?」 浩貴の言葉に穏やかに微笑む忍。 その微笑みに憂いが含めている事も、浩貴は察していた。 忍は自分を含め、誰にも本心を明かさない。 そして心を許していない事も…。 浩貴の心情を汲み取ったか、忍は少し考え言葉を続けた。 「俺は卒業後、夏流と結婚したいと思います。 たとえ、彼女の心に俺に対する気持ちがなくても、俺は彼女が欲しい。 それが俺の今の望みです。」 忍の言葉に浩貴は嘗て無い程、驚きを露にした。 そして直ぐさま、忍が初めて自分の心情を訴えた事に歓喜した。 それは自分を父親として認め始めた事を意味していた…。 「そうか。」 感極まる浩貴の様子に、忍は極上の笑みを浮かべた。 浩貴の同意を得た事によって、夏流との未来は確固たるものになった。 地盤が固まれば後は夏流の心を自分に向けるだけ。 それも難なくクリアされる事柄だ。 自分が描く未来に確実に進んでいる事に、忍はこれ迄に無い充足感を味わっていた。 その未来に陰りを落とす人物が近づいている事を知らずに。 そして程なく現れるその人物によって新たな狂気に目覚めさせられるとは、 その時の忍には思いも及ばぬ事であった…。 |