Act.16 懐かしき人 その日、叔母の多恵から電話があった。 「もしもし、夏流? 元気にしている?」 相変わらず明るい叔母の声に夏流は、忍との出来事から離れる事が出来た。 この声を聴くと本当に元気になる…。 叔母である多恵は母の妹で、このマンションの持ち主でもある。 多恵は2年前に結婚と同時に、主人である佑司の転勤に付き添い、今は北海道に住んでいる。 こちらで一人で生活する事を頑として反対し、一緒に来る事を強く勧めたが、 強い意志で母の事を言うと叔母は暫し悩んだが私の気持ちを尊重し、 このマンションに住む事を許してくれた。 「元気よ〜 多恵ちゃんも相変わらず元気よね。 あ、佑司さんも元気ですか?」 「勿論よ。 夏流。 姉さんは、その、変わりない?」 多恵の変わりないと言う言葉に、どのような意味が含まれているかは、解りきっているので夏流は口調を変える事なく言った。 「うん、相変わらずよ。」 「…そっか。 ねえ、夏流。 どうしても、卒業したら就職するの? 大学受験は考えてないの? 貴女の学力ならいい所に進学する事が出来るって、担任の先生が言っていたけど。 お金の事を心配しているのなら、気にしなくてもいいのよ。」 「有り難う、多恵ちゃん。 でも、前々から決めていた事だから。 今、出来る事をしたいから私は就職したいと思ってる。」 「夏流がそう決めたのなら、それ以上は言わないけど。 でも、一番は夏流の幸せを考えなさいね。 夏恵姉さんも、そう望んでいるわ。」 「多恵ちゃん…」 しんみりと言う多恵の声に夏流の涙腺は緩み、涙声になりそうなったが、多恵の一言がそれを停めた。 「それはそうと夏流、好きな人が出来た?」 がらりと口調を変えて聞いてくる多恵に、夏流は唖然とした。 「はああ、もう、多恵ちゃんてば〜 せっかく多恵ちゃんの優しさに心が潤んでいたのに、もう。 また、始まったんだから、多恵ちゃんの「彼氏」の話。 電話がかかる度に、こういう話に流れるのは勘弁して欲しいんだけど。」 そう言いつつも、だんだんと笑いがこみ上げてきて、思わず吹き出した。 そしてつい、口元が緩み忍の事を話してしまった。 「う〜ん、まあ、好きな人って言うよりは。 最近、同級生に交際を申し込まれたけど。」 夏流の返事に、電話越しにきゃあきゃあ歓声を上げる多恵の様子に、夏流はますます笑った。 こんなに笑う事なんて、本当に久しぶり…。 あ、そういえば、坂下君と初めてのデートの時にも少し笑ったっけ。 あの時は本当に食事が美味しくて、坂下君との会話も楽しくて、そして彼を存在を強く意識して…。 「ねえ、夏流に告白した相手ってどんな感じ? 凄く興味津々なんだけど。」 多恵の声に夏流は、忍とのデートを思い出に気持ちが捕われて、ぼうっとしていた事に苦笑し、そして多恵の要望に添える事が出来る様、心を砕いた。 「そうね。 男の癖に凄く顔の綺麗な人で、そして身長が180センチ位で、多分、家はお金持ちと思う。」 「な、何、そんなに出来のいい男を捕まえたの? 夏流、凄いじゃない。 もう、頑張って最後迄、添い遂げなさいよ」 多恵の興奮は速度を上げて、勢いを強めていた。 「ちょ、ちょっと待って。 どうして多恵ちゃんも、坂下君も同じ様な事を言うの?」 「へええ、坂下君って言うんだ、夏流の彼氏。」 何時の間にか「彼氏」に昇格されている事に気付いた夏流は、多恵の気の早さに苦笑を漏らした。 「う〜ん、違うって。 まだ、彼氏ではないけど、凄く強引で。 好きだとこっちはまだ言ってないのに、先々の事迄考えるんだから、本当に困る。」 口調がだんだんと暗くなりつつある事に気付いた夏流は、慌てて、明るく振る舞った。 そんな夏流の不自然な口調を照れと勘違いした多恵は、心の中で喜んでいた。 やっと、姪が学生らしい生活を営んでいる事に。 「ふ〜ん、凄く情熱的だね、その坂下君は。 本気で夏流の事を想ってくれてるんだ…」 感慨深げに言葉を紡ぐ多恵に夏流は困惑した。 「そうなのかな? どうも違う様に感じる。 坂下君は…。」 彼のあの深い思いを含んだ瞳は、あれは私を本当に好きで求めてる訳ではない。 「夏流?」 「ご、ご免なさい、多恵ちゃん。 そろそろ勉強しないといけないから、切るね。」 「頑張りなさいよ、夏流。 応援しているから。 で、進展したら報告してね。」 「もう、多恵ちゃんから」 「お休み」 かちんと電話の受話器を置いた夏流はふうう、と溜息をはいた。 多恵との会話で自業自得だとは言え夏流は、忘れていた忍との会話を思いだしていた。 来月、私はこのままいくと坂下君と結ばれる。 あの強引な迄の口調は、絶対に実行するとした考えられないし。 自分の意志に関係なく事が進められて、私は本当にどうしたらいいの? 確かに彼に惹かれているけど、だけど、まだ受け入れられない。 どうしよう。 怖い。 どうしようもなく、坂下君が怖い…。 7年前、私は彼とどんな風に出会ったの? その出会いで彼は私に恋をしたと言うけど。 私は一体、彼に何をしたの? 解らない。 これが解れば、私は今よりも、もっと彼を好きになるのだろうか? それとも。 ふと、電話の呼び鈴が鳴っている事に夏流は気付いた。 (どうしたのかな、多恵ちゃん。 言い忘れた事でもあったのかしら?) 「もしもし、多恵ちゃん?」 受話器を取り言葉をかけるが、しばらく間が空いた。 (違ったのかな?) 「失礼しました。 藤枝ですが、どちら様でしょうか?」 「…夏流?」 「え?」 「俺だよ、夏流。 透流。 久しぶりだね。」 意外な人物からの電話に、衝撃を受けた夏流は声を出す事が出来なかった。 |