Act.11 雨



冷たい雨が、残酷に全てを流した。


あの日から俺は、俺の家族を奪ったあの時の事故を憎いと思う感情すら失っていた。
体に降り掛かる血の雨。
薄れゆく記憶の中で鮮明に残ったのは、雨の冷たさと流れる血の温かさだった。


「あれから、もう5日目になるのか…」

あの後からずっと夏流は学校を休んでいた。

忍はあの後、何度も携帯に電話したが、電源が完全に切られていた状態だった。
マンションに登校前と下校後に必ず立ち寄ったが、一向に玄関に出る気配がなかった。


拒絶されている…。

自分の幼い感情が夏流を追いつめてしまった。

もっと、時間をかけて夏流の気持ちを自分に傾けて、手に入れようと考えもした。
だが、そんな悠長な事は出来なかった。

やっと、見つけたんだ…。

ずっと、逢いたいと思った少女に巡り会ったんだ。

箍が外れない方がおかしい。
いや、もう既におかしいのかもしれない。
知ってしまったあの時から、俺の中の均衡は確実に崩れていった。
今迄築いた自分の感情は、夏流の前では完全に削がされていた。

唇を噛み締めながら忍は、自分の沸き上がる感情の波を落ち着かせようとした。
噛んだ拍子に唇が切れ、滲む血が口内に伝わり、鉄分を含んだ味が広がった。
息を軽く吐いた。


あの時、一時の感情であったが、夏流を奪おうと思った。
欲しかった。
気持ちが手に入らないのなら、せめて体だけでも。


(どうして、認めないんだ?
俺に惹かれている事に。

俺だったら、ずっと、夏流の側にいる。
裏切る事は絶対に無い。
不安にさせる事もない。

なのに、どうして。)

頑に自分の感情を否定するんだ?

「夏流。
俺は絶対に諦めないよ。
自分の気持ちに正直に生きる事を、俺は君に学んだんだ。
だから、それを俺は実証するよ。」

「夏流と言う娘が、忍の彼女か」

後ろから聴こえるからかいを含んだ声に、忍は一瞬、顔を顰めた。
義兄である豪はそんな忍の表情を見て、形相を崩した。
朗らかに笑いながら、言葉をかけた。

「輝から聞いたぞ。
本気になってる忍の姿を見れたって、電話で俺に、自慢げに言うんだからな。」

ああ、やはり輝さんは義兄に言ったのか、と解っていた事だけに何とも言えない気分に陥った。
実際、輝に夏流の事を自慢したい気持ちがあったので、自業自得と言えばそれまでだが。
だが、この義兄のおもちゃになるのは、どうしても避けたいと思い、忍は飄々とした態度で返事した。

「別におかしい事では無いと思うけど。
俺が本気になったら、変かな?」

「いや、別に。
ただ、兄として喜ばしい事だと思ってね。」

「…」

この義兄に何を言っても敵わないと思った忍は、黙りを決め込んだ。
そんな自分の思惑も義兄には手に取る様に解る事柄だというのも知ってるだけに、バカバカしくなるのだが。
13歳も離れていると、自分がどれだけ子供だと言う事を思い知らされる。
それだけではない。

実際は来年、成人を迎えるのに、自分はまだ高校生のままだ。

社会に出ていれば、自分は夏流に対して、もっと真剣に向き合えるだろうか…。

ぼそりと忍は囁いた。

「なああ、兄貴。もし、彼女の意思に関係なく手に入れて、彼女を孕ませたら。
結婚してもいいか?」

とんでもない忍の発言に流石の豪も唖然とした。

今、こいつはなんて言った?

孕ませる?

7年前のあの時から、忍は誰かに執着する程、想いを寄せる相手を作らなかった。
自分たちにも解る程、人に対して、常に一線を保っていた。
ごく一部、感情を表すが、それも全てではない。

なのに、忍が感情を露にし、全て捧げる程の少女が現れた…。


そこまで忍に想いを寄せられる夏流という少女は、忍に想われて、果たして幸せと言えるのだろうか?
今、忍にある感情は普通、恋愛に通じる想いではない。
確実なる執着。


それも全てを焦がす程、激しいまでの狂気だ…。

ふと息を吐いて、豪は言葉を紡いだ。


「お、お前。
それは犯罪ではないのか?
確かに法律上は問題ないが、彼女はまだ17歳だろう?
学生結婚を彼女の両親は許さないだろう。」

「だけど、俺の両親は許してくれる。
確実に。
だって、俺が今迄望む事を言った事がないからね。」

シニカルに笑いながら忍は投げ捨てる様に言葉を吐いた。

痛い所を突くものだ、と豪は忍の言葉に舌打ちした。
確かに両親達は、いや、祖母や俺たち兄妹も含めて、忍に対して限りなく甘い。
理由が理由だけに仕方がない、と言う言葉で終わらせる程の事情では片付かないが…。
それを踏まえてるか、忍は逆に俺たちに何も望まない。
甘える事すらしない…。

そんな忍が俺に初めて自分の望みを訴えた。

だが今望んでいる願いは、忍にとって、本当に幸せだと言えるの事だろうか…?


眉間に皺を寄せながら豪は、うめく様に話した。


「…そんなに好きなのか?
その夏流と言う娘を」

豪の言葉に、忍は少しの間、返答するのを躊躇った。

窓に降り掛かる雨の音が、だんだんと激しさを増していた。
少しの間目を閉じ、窓にかかる雨音に耳を傾けていたが、目を見開いて、ゆっくりと豪に視線を落とした。

そして豪の目を逸らさず、はっきりとした口調で言葉を述べた。

「彼女に出会わなかったら、俺は7年前に死んでいた…。」

忍の言葉に、豪はそれ以上何も言わなかった。




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