Act.10 「好き」と言う気持ち


何かが自分の中で動き出し始めている。

それを私は止める事が出来ない…。



忍との強制デートを終えた夏流は、ベットの上で、呆然と事の成り行きを思い出していた。
思いだした途端、青くなったり、赤くなったり、と鏡台を見ながらまるで信号の様だと、一人突っ込む夏流。
そんな自分を冷静に考えるとバカだなと思い、憐憫を自分に向けたらおしまいだな、と散々な評価を自分に行っている始末。
そして一通り自分の事について考えに収集がつき、最終的に辿り着いたのは、忍に対する自分の心の変化だった。

そして、それを止められない自分の弱さに更に落ち込んでいた。
無意識に忍の姿を思いだす自分を激しく責めた。



「どうして、止める事が出来なかったの?

これで二度目よ、夏流。

状況に流され過ぎ。

もっと、自分をしっかり持たないと、駄目!

そうではないと、私は本当に。」


坂下君の事を好きになってしまう…。


鏡台に映された自分の姿を改めて見て、夏流はそっと、唇に指を這わせた。
唇にまだ残る感触に、忍の熱の熱さを思いだした途端、頬がかっと赤くなるのを、
止める事が出来なかった。

そして早鐘を打つ胸の痛みも。

(好きになってどうなるの?

やっと、自分を自制する事が出来る様になったのに。

これ以上、自分の中に踏み込ませたら駄目。

解っているはずなのに。

傷つくのは自分だって、何度も経験してきた事じゃないの!

なのに、私って、なんて学習能力が無いのかしら。

バカよ、夏流。

本当に、バカ…。)

いつの間にか、涙が頬を伝っていた。
過去の出来事が頭に蘇り、止めどもなく溢れる涙を抑える事が出来なかった。




時間は残酷だと、今日程実感した事は無い…。

結局、あの後一睡も出来なかった夏流は、重い頭を抱えながら、忍の迎えを受け入れた。

穏やかな微笑みを自分に向ける忍の存在が、やけに憎らしく思った。

そして胸に沸き上がる不可解な感情に、いらいらが募っていた。


(どうしてそういう目で私を見るの?

そんな目で見つめないで欲しい。

勘違いしてしまう。

私の事を本当に想っているって言う錯覚に。)

歩行を緩めた忍が、ふと、言葉をかけた。

「今日はやけに静かだね、夏流。」

「…」

「夏流?」

一言も言わない夏流の様子が気になったのか、忍は夏流の顔を覗き込んだ。
見た途端、忍は有無を言わずに夏流の腕を掴んだ。


「な、何するの?」

「今日は学校を休め、夏流。」

「どうし…」

それ以上の言葉は続かなかった。

真っ青になっていた夏流は、意識を失い、そのまま忍の腕の中に倒れ込んでいた…。

ひんやりとした手が額に触れている。

気持ちいい。

もっと、触れて欲しい。


「もっと?」

「気がついたか?」

「坂下君?

あれ、私、どうして?」

「貧血を起こして倒れた。

全く、一睡もしなかったのか?

昨日は。」

(バレている…)

苦虫を潰した様な表情で俯く夏流に、壮大な溜息で答える忍。
その2人の間に、時計の音が、こくこくと音を立てて動いてる。
リアルにその音が耳にこびり付いて離れない。


静けさと、気まずい雰囲気が2人を覆った。
重苦しい空気に耐えられなくなり、横目でちらりと忍の様子を窺うと、不機嫌さを隠そうともしない態度でソファに座っていた。
自分に投げかける視線の冷ややかさに、夏流は、一瞬、目を瞑って逸らした。

(お、怒られる。
嫌だな。
え?
ちょっと、待って。
どうして、怒られると思わないといけないの?
違うのでは。

そ、そうよ。
何、勘違いしてるの?
もう、夏流のおバカ!)

いつの間にか夏流は忍が側にいる事も忘れる程、自分の世界に浸っていた…。
そんな夏流の態度に、忍は普段の冷静さを失い、沸々と沸き上がる怒りに身を任せていた。
自分がどれほど夏流の事を思い、心配したか、当の本人は何も気付いていない…。
それだけではない。
自分の昨日の行動が夏流を不眠に追い込むまで悩ました事に、罪悪感を感じていた。
性急すぎる事は解っている。
だけど、自分の想いを自覚して押さえられる程、自分は理性的ではない。
今だってそうだ。
夏流が自分の考えに浸り、自分の事を知ろうともしない。
何故、自分がこれほど不機嫌なのかも解ろうともしない。
一方的な想いではない事は、今朝の夏流の様子を見て解る。
だが…。

心の中で色々な感情が飛び交い葛藤していたが、ぶちり、と理性の糸が切れた。
最後に忍の心に残ったのは、自分の想いをあくまでも拒否し、受け入れようとしない、夏流の態度に対するやるせない思いと怒りであった。
結果が出ると行動に移るのが、忍の性分である。

ワントーン低い声で、夏流に怒声をあげた。
「そこで、一人妄想に入るなよ。

全く、どうしてそう、いつも自分の考えに浸るんだ?

いい加減、人の言葉に耳を傾けろよ!」

忍の声音に一瞬、目をぱちくりさせる夏流。

もし夏流が、今の忍の心情を知ったら、全く持って迷惑極まりないと言い放つであろう。
実際、自分の感情を上手くコントロール出来ない自分にどうしようもなく忍は、イライラしていたのだから。

いつもの忍とは思えない物言いに夏流は怯んだが、何故、自分がここ迄怒られないといけないのか、
と、疑問符が頭に飛び交った途端、それは違うだろうと思い、反論に応じた。

「な、何ですって〜!!!」

「そうだろう?

夏流はいつも、俺の言葉を受け入れようとしない。

どうしてだ?」

ベットから起き上がって反論した夏流に、忍はじりじりと詰め寄った。

20畳ほどはあろうかと思われる洋室に、セミダブルのベット、モノトーンの家具に揃えられた部屋は、まるでモデルルームの様だ。

その時夏流は、初めて知らない場所で横たわっていた事に気付いた。

「ねえ、ここは何処なの?」

「…」

「ねえ、坂下君」

何度も聞いても、一向に忍は答える気配はない。

そんな忍に、むすっとした態度を示す夏流を見て、忍は素っ気なく答えた。

「俺の言葉に答えたら、言ってやる」

そんな忍の態度に唖然とする夏流。

(も、もう、何、このいじめっ子の様な態度。

あんたは小学生か!)

忍の不機嫌さを目の当たりにした夏流は、これは早々に引き上げた方が賢いと悟り、忍の問いを無視して、話し始めた。

「何処でもいいわ。

私の部屋でない事は確かね。

有り難うございました。

とても助かりました。

帰ります。

さようなら。」

簡潔にお礼を述べ、ベットから離れて帰ろうとした途端、忍に物凄い力でベットに引き戻された。

何をするの?と、言おうとしたが、忍の表情を見て、夏流は一瞬、強張った。

それほど、忍は怒りに震えていた。

怒りを露にした冷たい視線に、夏流はぞっと、背筋が寒くなる自分を実感した。
(こ、怖いかも…。

それにこの状況。

わ、私、大丈夫よね?)

ベットに押さえつけられ、忍がまたがる様にして自分の目の前にいる状況に、夏流は、
胸の鼓動が早まるのを押さえる事が出来なかった。

剣呑な眼差しで食い入る様に見つめる忍。

そんな忍の態度に夏流は、小刻みに震える体をどうにか鎮めながら、謝った方が得策だと思い、言葉をかけようとした。

だが、それは忍の呟きにより、遮られた。

耳を疑いたく様な呟きに。

「言葉は受け入れなくても、抱いたら、体は受け入れるよな。」

自虐的に笑いながら忍は、夏流の耳元に囁いた。

「さ、坂下君?」

「そういう関係になったら、流石の夏流も俺の言葉を聞くよなあ?」

「な、何言ってるの?」
夏流の胸元に手をかけながら忍は猫の様に目を細めて、ふっと、微笑んだ。
「別に既成事実を作ってもいいんだよ、俺は。

実際、結婚出来る年齢だし、俺たちは。」

「…え?

どういう事」

夏流の問いを完全に無視し、忍は夏流の制服のブラウスのボタンを一つずつ外しながら、言葉を続けた。

「ねえ、夏流?

俺がどれだけ夏流が好きか、教えてあげようか?

夏流は、いつも俺の言葉を疑っているからねえ。

ふふふふ。」

忍の氷の様な微笑みに、夏流は冷や汗を押さえる事が出来なかった。

そんな最中、ブラウスのボタンが全部外され、忍の目に白いキャミソールが晒されていた。
ゆっくりと体の線を辿る様に首筋に手を這わす。

やめる様に抗議しようとしても、羞恥と恐怖が入り交じった感情が支配して、言葉が上手く出ない。

だけど、このままの状態では、自分の貞操の危機だと悟った夏流は、必死になって、忍の手を遮って抵抗した。

「ねえ、坂下君。

お、落ち着いて。

いつも言ってるでしょう?

恋愛は、お互いの意思を尊重するものだと。

あ、貴方はいつも一方的なの!

私の気持ちを一切無視しての行動でしょう?

今もそう!

本当に、私の事が好きだったら、こんな事しない。」

感情が迸り、ぼろぼろと涙を零しながら夏流は、忍に自分の気持ちを訴えた。

そんな夏流に忍は、冷ややかに言葉を遮った。

「そういう夏流は、俺を正面から見た事はあるのか?

回りの噂に惑わされて、俺を見ようともしない。

言葉を聞こうともしない。

想いを受け入れようともしない。

まあ、想いは…。

自分が傷つきたく無いから、受け入れないんだよな。

怖いんだよな、夏流は。

自分の中に、誰も踏み込んで欲しく無いんだよな。

ああ、解るよ。

大切なモノを作りたくは無いと言う気持ち。

だけど、俺は夏流のそんな気持ちなんて、知らない。

知りたくもない。

俺は。

俺は、夏流の事を本当に想っているから、夏流の心が欲しい。

俺の側で、いつも笑って欲しい。

幸せだと実感して欲しい。

自己完結している未来を、受け入れないで欲しい。

夏流。

俺を、好きだといい加減、認めろよ。」

感情的に言葉を述べる忍に、夏流は言葉を失った。

自分が知ってる忍は、シニカルで冷静で、そして感情に身を任す様な人ではない。
いつも人を小馬鹿にした様な態度を取って、自分をからかって反応を楽しんで。
違う、そうではない。
感じていたはずだ。
彼が自分に対していつも真摯だって事に。
熱い瞳で自分を請う様に見つめられてる事に…。

本当は今の様に感情的で、少し子供っぽくて、優しくて。
そして多分、私の立場を知ってるのだろう。
その上で私の事を真剣に想ってくれる。

涙が出た。

こんな風に想われたかった。

自分の事が誰よりも大切なんだと、ずっと、誰かに想われたかった。

家族には決して求められない想い。

だけど。
これ以上は駄目。

私の中に、貴方の想いは存在してはいけないの。

だって、私はまだ彼を…。

だからあの時の感情を、想いを、悲しみを忘れてはいけないの!

貴方の想いを受け入れる事は、今迄の私を否定する事なのだから…。

「坂下君…」

「俺の事が好きなんだろう?

だから、昨日、一睡も出来なかった。

自覚した自分を受け入れるのが怖かったから。」

お願い、これ以上言わないで!

私の感情を混乱させないで!

「やめて!

もう、やめて!」

頭を振りながら忍の言葉を遮った。

(聞かせないで、これ以上、貴方の想いを私の心に響かせないで。)

「やめないよ、俺は。

夏流が俺の言葉を受け入れる迄、俺は何度も、夏流に言うよ」

「ひどい!

貴方に私の何が解るのよ!

知った様な事を言わないで!」

こんな言葉を私に言わせないで。
これ以上、私を追いつめないで!

「…解るよ。

俺も夏流と同じく、大切な人達を失っているから」

ふらりと、体が中に浮いた様な感覚に陥った。
忍の一言が自分の心の中で木霊する。
そしてやはり、と自分の予測が正しかった事を確信した。

唇が震える。

貴方は何処迄知っているの?

私の過去を、そして今を。

「…坂下君?」

「俺は知っているんだ、夏流。

夏流が週末に何をしているかを…」


忍の言葉に、目を見開き、聞き入った。

やけにスローモーションで言葉を囁く。

違う、そうではない…

夏流の中で、ぷつりと何かが切れた。


「夏流?」

夏流の異変に気付いた忍は、すかさず夏流を捕まえ、抱きしめようとした。

そんな忍の手を振りほどき、部屋から飛び出す夏流を、忍は止める事が出来なかった。

苦渋に満ちた表情で名前を呼ぶ忍。

涙を流しながら夏流は、ただひたすら、ある場所を目指して歩いて行った…




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