Act.22  恋愛狂想曲 その8



孝治の意外な言葉に春菜と豪が一瞬、言葉を失う。

そして豪の表情が緩み、くつくつと笑い出した。

目を細めて笑う豪に春菜は、本当に優しく笑う人だな…、と心の中で呟いた。
仄かに頬を染めてる春菜の姿に孝治が、複雑な表情で見つめている事に春菜は気付いていない。

すと孝治が春菜に近づき腕を取った。

急な孝治の行動に春菜は、「な、何を急に…」と言葉を続けようとしたが出来る事が出来なかった。

自分を見つめる孝治の目が余りにも真摯だったので…。

微かに呟く言葉に春菜は、言葉が出なかった…。

「なほちゃん…」

ああ、この人も私をママと重ねているんだ…、と春菜は何とも微妙な感情にとらわれた。
真季子さんも、紀子さんも、孝治さんも、私のこの姿にママを重ねて見ている。

私自身を見ているのではなく、ママを…。

今日、相楽の手によってだんだんと綺麗になる様を鏡で見つめながら、春菜は心の中で弾んでいた。
この姿を見たらどう思うのかな?
普段よりも可愛いと思ってくれるかな、それとも少しは綺麗と言う言葉が出るかな?

だが装った自分の姿を見て春菜は愕然とした。

確かに可愛くなった、綺麗になった、でもこの姿は…。

写真で見たママにそっくり。

この姿を見たら私ではなく、ママを思い出すだろう?

ママを懐かしみ、歓び、そして私ではなくママを私に重ねてこれから先、見て行くだろうか…?

パパも今日の私を見たらそうなるのかな、やっぱり…。

と目を泳がせ考えていると、ふと自分の頬に触れる手に気付いた。

視線を正すと孝治がじっと見つめていた。

「今日の装い、とても綺麗だよ、春菜…。」

耳元で囁かれる少し低い艶やかな声に、ぴくり、と体が反応する。
見つめ返すと、少し目を細め、情熱的に自分を見つめている。
その深い視線に頬がみるみる赤くなる…。

そして気付いてしまった。

孝治の本当の気持ちを。

(この人は…、ママが本当に好きだったんだ…。
過去形ではなく、今も…。
だってこの目は…、純粋に人を乞う視線…。
そう今、私が坂下君に注ぐ視線と一緒だもの。
ああ、私に本気で好きになったのではなく、私にママを重ねたかったんだ…。
私は代理だったのね)、とふと寂しい感情にとらわれた。

一瞬、ずきりと痛みが走った感情に、春菜が何故?と思うと急に扉が開いた。

扉の先に現れた人物に、春菜は一瞬、目を奪われた。

フレームの無い眼鏡に、少し神経質そうな、切れ長の二重に、左側の泣きぼくろが男の美貌を更に引き立てる。

鋭利な美貌に嘆息を漏らしたが、心の中でぷるぷると頚を振った。

(ま、またパパの幼なじみが来たけど。
だけど、な、何、あの不機嫌な様は…。
何か、かなり機嫌が悪そう。
顔を顰めながら私を見つめている…?)

身体を少し強張らせていると、豪が急に入って来た男に声をかけた。

「輝。
お前、思ったよりも早く来たな…」

輝、と呼ばれる男の表情が少し和らいだ。

「…ああ。
何とか来たよ。
今日の不参加、侑一に却下されたからな」とあからさまに嫌みを言う輝に、春菜は心の中で思った。

(この人、もしかしてパパの事、嫌っている?
そうとしか今の言葉、取れないけど…)

と、思案していると孝治がじっと自分を見つめている。
その視線に気付いた春菜は、慌てて孝治の側を離れようとしたが、孝治に肩を抱かれて身体を寄せられる。

孝治の行動に、離す様に促すがもっと肩に抱く腕に力が込められる。

「孝治さん。
離してくれませんか?」

と言う春菜に孝治が、春菜に呟く様に囁いた。

「集いが終わったら俺が春菜を家迄送る。
だから、この後、少し俺に付き合え…」

急な孝治の誘いに戸惑い、返事が出来ない。

だんまりになる春菜に孝治が、更に言葉を続ける。

「装った春菜を独占したい…」とぞっとする程艶やかで、フェロモンを含んだ声が鼓膜を通り脳髄に浸透する。
購う事が出来ない程、魅惑的な孝治の言葉に春菜は身体の底から力が抜ける感覚に陥った。

そして思った。

これが紀子に感じたフェロモンと同じく、なんて質が悪いんだろうか、と…。

孝治が本気を出せば自分の感情なんて、塵芥に等しいのでは無かろうか?と孝治のフェロモンパワーをマトモに受けた春菜はそう感じた。

頭がクラクラして、身体を支える事が出来ない春菜に気付いた孝治が微笑み、更に春菜の肩を抱く腕に力を込めた。

2人の様子に豪は苦笑を漏らし、雅治は無言で見つめ、そして輝は呆れ返っていた。

「おい、余り親密な様を見せつけないでくれないか?」とからかう豪に、ぼおお、としていた春菜は一気に意識を取り戻した。

真っ赤になって孝治の身体を押し、孝治から離れた。

春菜の初な様に孝治が声をたて楽しそうに笑う。

表面的に。

その笑い声の中に何人の人間が気付いたのであろうか…?

孝治が本気になって春菜を口説き始めようとしている事に。

ちらりと、孝治を見つめる輝の顔が引き攣っている事に孝治は笑った。

「お前は気付いたのか、輝」

「…おい、お前本気か?」

近寄って来た輝が小声で孝治に囁く。

輝の言葉に孝治が深く微笑む。

「ああ。」

「お前、怖いもの知らずだな、孝治。

いくらお前が一番、侑一と親密な関係だと言っても、あの、侑一だぞ?
娘をあれだけ大事に思っている侑一が手離すと思うか?」

「ふふふ。
解っているって。
だが、俺も本気なんだ…。
お前は俺の気持ち、解るだろう?」

と含む様に言葉をかける孝治に、一瞬、顔を強張せる。

「お、お前…、まさか…」と呻く様に言葉を言う輝に目を細めた。

「お前も前途多難だよな。
忍君の事が絡んでいるからな、お前の場合は。」

「…」

「だが、俺も多難と言えばそうなるだろうな?多分。」

「孝治…」

「やっと俺の前に本気の相手が出たんだから、指をくわえて黙って見ている程、俺も聖人君子ではないし、ね。
どんな手段を使っても俺は手に入れるよ。
お前も、本当に欲しかったらただ見つめているだけではなく、実力行使しろ。
いくら忍君の事が、豪の事があるからと言って、ずっと黙って見つめていくつもりか?
お前、豪にもずっと黙っているんだろう?
自分の恋情を…」

「…」

「確かに豪は俺にとっても親友だ。
だが、恋情とはまた別だと思うぞ。
豪がお前の朱美ちゃんに対する恋情を知って、実を結んだら豪の立場が悪くなると考えているのか?
「坂下豪」としての立場が。」

「孝治!」

「お前が朱美ちゃんに恋心を伝えないのは、その事が多少、絡んでいるんだろう?」

「…豪はそうは思わない。
だが…」

「そう、豪は優しい男だから、そういう事は考えない。
そういう感情すら持たない。
だろう…」

「解っているのなら、言うなよ。」

「余り黙っている事が好きではなくてね。
これでも親友の恋を密かに応援しているんだ、俺としては」

「どこが、だ!」

輝の不機嫌な声に孝治が、更に声をたてて笑った。

隣で豪快に笑う孝治を見つめながら、今日、集いに真面目に参加した事が本当に愚かだった、と輝は、何度目かの嘆息を漏らした…。



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