Act.1 恋情 夏流との再会の後、豪は商談を終えそのまま帰宅する事無く「一光」に行き「鳳凰の間」で一人飲んでいた。 ぽろん、と時折、戯れに触れる鍵盤の音が静かに響く。 先程迄激情のままピアノに向い感情の赴くまま音を滑らせていた。 無心にピアノを弾く豪の脳裏に夏流の顔が過る。 目に涙を溜め身体を震わせていた夏流の…。 「俺は一体何をしたんだ…」 エレベーターでの夏流への行為を思い出し、忘れ去ろうとかぶりを振りながらひたすら演奏に熱中する。 一層激しくなる旋律が豪の感情を物語っていた。 「夏流、俺は…」 腕の中で震えていた夏流の熱が今でも豪の熱情に灯を灯す。 欲しいとあれほど願っていた存在が今、腕の中にいる…。 泣きそうな程の幸せを豪は感じていた。 ああ、俺は今でも夏流を愛している…。 この想いが過去の思い出にはならなかったと豪は震える夏流を強く抱きしめながら思っていた。 「だからと言って何が出来る。 既に夏流は忍を婚約をし、近い将来結婚する。 そして俺は美樹と言う妻がいて、暁と言う息子が存在して…。 どうにもならない事だ。 なのに俺が行った行動は夏流を悩まし苦しめる事しかならない。 あれだけ夏流の幸せを望んだのに俺の身勝手な恋情が全てを壊すのか…! 俺は何故、感情を抑えれなかった。 何故…!」 済まない、夏流…、と苦しいつぶやきの中、豪は夏流のあの笑顔を思い出していた。 柔らかく、そして暖かく無垢な…。 亡くなった祖母、路子に似た綺麗な笑顔。 ずっと望んでいた笑顔。 忍の側でずっとその笑顔がある事を望んだ…。 なのに…。 「珍しいな。 お前が一人でこの「鳳凰の間」で飲んでいるのは…」 急に声をかける人物に豪は視線を送り、そして静かに言葉を紡いだ。 「お前こそ、何故ここに? 孝治」 「今日のお前の行動を見てここに来ていると思った、と言ったら?」 にやりと軽やかに笑う孝治に豪の疑心が強くなる。 「…何を言いたい?」 硬い声で問う豪に孝治がくつり、と笑う。 まるで豪の反応を楽しんでいる様に。 「…なあ、豪。 お前、10年前の「六家の集い」の時の雅弘の言葉、憶えているか…?」 「…孝治?」 「初めて春菜を俺たちの集いで紹介した時の雅弘の占いの言葉を」 にやりと笑いながら言葉をかける孝治に豪は言葉を発する事が出来ない。 急にこの「鳳凰の間」に孝治が来た事自体、豪は怪訝していた。 訝しげに見つめる豪に孝治な真剣な趣で豪に話しかける。 「お前、10年前に「運命の女」に出会っていただろう?」 「…どうしてそう思う」 「先程のお前達の会話を垣間見ていたから、と言ったら?」 孝治の衝撃的な言葉に豪が表情を無くす。 「お前、あの最上階のカフェ、誰もいないと思い彼女を誘ったんだろう? あのカフェ自体、俺たち六家の人間が侑一の百貨店に来た時、侑一が憩いの場として儲けたカフェだから、俺たち以外に利用する者などいない。 だからあの時間帯、お前は誰も利用していないと践んで彼女を連れて来た。 だがあの時間、既に俺と侑一がお前の視界が入らない場所で談話をしていた。 今回、新規にオープンした店の件でな。」 「…」 「お前が彼女を連れ添って来た時、一瞬、侑一の顔が変わった。 侑一は気付いていたんだろうな、彼女の事。 忍君の婚約者がお前の「運命の女」だと…」 「お前にも侑一にも恐れ入るよ。」 目を伏せ息を深く吐きながら言う豪に孝治が穏やかに微笑む。 「だからお前は躊躇したんだな、自分の恋情を。 お前の事だから忍君の想いを尊重して自分の気持ちを封印したんだろう? 本当にバカとしか言えない。 お前…、何故、そこまで偽善ぶるんだ…?」 「孝治?」 「好きになったら喩えどんな事をしても想いを告げるべきであったと俺は思う。 相手が忍君の想い人であっても…! 先程の行動を起こすのなら尚更だ。 お前、彼女に自分の想いを告げたんだろう? だからこの場所で煽る様に酒を飲んでいる。 普段のお前の行動とはとても思えないからな…。 なあ、豪。 お前、自分が今どれだけ自分勝手な事をしたか理解しているんだな…?」 「…」 「彼女はお前の身勝手な告白で悩んでいると考えているのなら、最後迄自分を抑えるべきだった。 事実、そうだろう? 優しげな彼女を見て俺は感じたが。 彼女は…、お前の亡くなった祖母に似ているな…。 門倉の、路子様に。 あの柔らかで透き通る様な趣は」 「…それ以上言うな!」 鋭く言葉を発する豪に孝治が真摯な眼差しで見つめ返す。 「…豪。 どうして最後迄「坂下豪」として生きようと考える?」 「孝治!」 ばん、と急に鳴り響く鍵盤の音が静寂を保っていた部屋に木霊する。 強引に会話を中断する豪の行動に孝治が軽く息を吐く。 「全ては忍君と涼司さんか… 本当に罪深い人間だよ、2人とも。」 「…忍は関係ない。 それに涼司さんも。 俺が「坂下豪」として生きる道を選んだ。 そして俺が彼女が忍の側で幸せになる事を望んだ。 それが俺の気持ちだ…」 静かに語る豪に孝治がくつくつと笑い出す。 まるで哀れんでいるかの様な笑いに豪の身体が震える。 「本当に優等生な言葉だよ、豪…。 俺は可笑し過ぎて笑いが止まらないよ。 本心ならば偽善的な言葉もそこまできたら天晴だ、と拍手を送っているがな。」 「もういいだろう? 孝治…」 「今からでも遅く無い、と俺は言いたいがね。 動き出したのなら最後迄進めてみたらどうだ? それで駄目ならお前も踏ん切りがつくだろう? いや、そんな簡単な事ではないか。 それでも続く想いなら…、突き通せばいい…! 恋情に枷をする事等出来ない事は、解っているだろう?豪。」 「…俺には既に家庭がある…。」 「だから?」 「…今更どうにもならないだろう?」 「ならない事にお前は感情に走って行動を起こした…」 「…!」 「ふふふ、済まない。 言葉が過ぎた様だ。 本当に俺もおせっかいな男だな。 ははは、俺だけではないか。」 含みながら言う孝治の言葉に豪は扉を開けた主に視線を送った。 「侑一…」 「俺は退散するよ、豪。 後は侑一に慰めて労って貰え。」 くつくつと笑いながら「鳳凰の間」を出る孝治を豪は深いため息を零しながら見つめていた…。 気に入ったらぽちっと押して下さい♪ 書く励みになります。 宜しくお願いします(深々) |